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女性自身 2007.05.08-15 シリーズ人間No.1850
■浜尾実氏の苦言『新天皇陛下、災害現場へもお飛びください』
あるとき、浜尾さんは宮内庁の女官長から呼び出された。ホテルのラウンジで
対座すると、女官長は膝元のメモに視線を落としながら言った。
「浜尾さん、この前、週刊誌にお話になったことはちょっと違っていませんか」
言葉遣いは丁寧だが、その口ぶりは批判的だった。
女官長といえば、美智子さまのお側にいてお世話をする女官たちの長である。
浜尾さんがマスコミに語るご一家の素顔は時として誇張され、苦言も批判と受け取られがちだったが、
そのことにもっとも敏感に反応したのが、皇室と宮内庁だった。
女官長からの呼び出しはその後も続き、そのたびに浜尾さんは、お叱りを受けたという。(中略)
また昭和64年、昭和天皇が崩御され元号が平成に変わってすぐのことだった。
浜尾さんのもとに『週刊朝日』から、新しい天皇陛下に期待することを書いてほしいという
依頼があった。浜尾さんは日ごろから感じていたことを話し、それが記事となった。
《元東宮侍従、浜尾実氏の苦言 『 新天皇陛下、災害現場へもお飛びください 』 》
それは昭和60年夏の日航ジャンボジェット機の墜落事故や、61年の三原山噴火のとき、
両陛下が軽井沢でご静養なさっていたり、横浜でテニスを楽しまれていたことを挙げ、
両陛下にはそんなときこそ被災地に向かわれていただきたいという趣旨の苦言だった。
もちろん、浜尾さんはこの記事が掲載される前に、誤謬のないようにと同じ内容を
便箋8枚にしたため、侍従を通じて天皇陛下に届けていた。
「お返事などいただけるとは思ってもいませんでしたが、翌日、侍従を通じて“陛下が
浜尾さんにお礼を申し上げてほしいとおっしゃっている”という電話をいただいたときは、
陛下がおわかりくださったのだと恐縮、感激の思いを昧わったものです」
が、宮内庁の反応は冷ややかなものだったという。
それまで毎年、浩宮さまのお誕生日のお祝いのお茶会に、旧奉仕者の一人として
招かれていた浜尾さんに、あるときからお招きの知らせがぷっつりと途絶えたのである。