DTM板『歴史IFシリーズ』第一弾at DTM
DTM板『歴史IFシリーズ』第一弾 - 暇つぶし2ch1:名無しサンプリング@48kHz
22/07/25 23:19:33 69m6xiaO.net
DTM板『歴史IFシリーズ』第一弾

【決戦!川中島 ~もしも、あのときキツツキの戦法がキマッていたら~】

1641年 -武田側本拠地、甲府城から武田晴彦(のちの信玄)、武田春樹らが出陣
時を同じくして山梨城から小山田信繁、穴山信介といった武田の名将が出陣
その中には名軍師・山本勘助もいた
武田軍はあいついで合流し、相模大野を経由して八王子に向かう

一方、上杉軍は上杉謙信以下、7万の兵力が「オンベンシュラソワカ」を唱えつつ一気に南下
大宮から川越を経由し、入間市へと向かっていた
両軍は多摩川を挟んで川中島(現在の聖蹟桜ヶ丘付近)で激突する

まずは「動かざること山のごとし」を家訓とする武田は動かないと見た上杉側が一気に攻め込む
武田はそもそも騎馬隊がウリ
そんな武田が「川沿い」という不利な立地を選んだことそのものが戦略的失敗
いや”失態”であった
多摩川沿いは今でこそサイクリングコースが整備されているが当時はもちろんジャリしかない
馬は足を取られて行動力は40%前後まで低下する
そこを上杉率いる「編み笠部隊」が徒歩で奇襲をかけた
この編み笠は大きく水に浮くため「一人乗りの船」にもなるのだ

武田は初戦で全戦力の半分を喪失した
小山田信繫、討ち死に──
馬場信元、討ち死に─
高畑育郎(87)以下、長男の高畑政宏(51)、次男の高島政次(48)討ち死に─
三男の高畑政照(43)かろうじて無傷──

この膨大な損害の責任はまさに武田信玄たった一人に向けられようとしていた

つづく


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