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力道山、11・14で生誕100年「大衆に勇気与えた」昭和のスーパーヒーローの伝説は健在
[2024年11月13日23時0分]
戦後日本の復興のシンボルで、1963年に突然この世を去ったプロレスの力道山は14日で「生誕100年」。
スポーツにとどまらず実業家としても先進的な感覚を持ち合わせていた。
若者には歴史上の人物となりつつあるが、今年も関連本が出版され、写真企画展も開かれた。「昭和のスーパーヒーロー」の力強い伝説は健在だ。
多様なグッズが所狭しと並ぶ格闘技・プロレスショップの闘道館(東京都豊島区)には世代を超えてファンが集まる。
館長の泉高志さん(48)は「力道山は日本のプロレスの父。彼を研究している20代、30代の方も店に来られる」と話す。
店内を見回すと力道山の試合のポスター、パンフレット、書籍はもとより、近年製作されたフィギュアもあった。
以下ソース
URLリンク(www.nikkansports.com)
日本植民地時代の朝鮮半島で24年に出生した(生年は日本相撲協会の記録による)。大相撲に入門して関脇まで昇進したが廃業。51年にプロレスへ転じた。「空手チョップ」で外国人選手をなぎ倒す姿に、敗戦から立ち直りつつある日本人は熱狂した。同時にマンション、サウナ、ボウリング場などいろいろな事業を興した。妻の田中敬子さん(83)は「事業家として夢を持って、それをただ夢で語るだけじゃなくて、実際にやっている姿を見た。世界を見ている人。この人に付いていくと、私も世界を見られるなと引かれていった」と記憶をたどった。
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評伝の「力道山」を著し、プロレスを文化・社会的観点から見る岡村正史・プロレス文化研究会代表(70)は「(リング上の)力道山はカメラがどこにあるのかを意識した“見せるプロ”でもあった。このスタイルは今も残っている」と評した。放送を開始したばかりのテレビが試合を中継し、ファンは急増した。プロ野球などとともにスポーツ界でファン獲得のモデルとなる。
闘道館でのトークイベントに参加した高校生の山下祐輝さん(18)は「力道山は戦後暗くなっていた大衆に勇気を与えた存在だったと思う」。昭和の時代を全速力で駆け抜けた男に胸を熱くした。