大阪の都市計画について語るスレ Part395at DEVELOP大阪の都市計画について語るスレ Part395 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト200:名無しさん@お腹いっぱい。 25/01/05 15:44:14.38 2nOYWCL8.net 上方の弓矢すえになりたる国ども、町人に相似たる侍ども、弱敵の国ども 上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て 上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。 三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。 (『甲陽軍鑑』) 201:名無しさん@お腹いっぱい。 25/01/05 15:44:28.14 2nOYWCL8.net 三河の猛将・本多平八郎忠勝(『本多平八郎聞集』) 「武士は武士臭いのが、味噌は味噌臭いのがよろしい」 「武士は上方風の公家臭いのより百姓臭いほうがマシである」 「上方風の業平侍のような女の腐ったような侍は俺は大嫌いだ」 202:名無しさん@お腹いっぱい。 25/01/05 15:44:37.17 2nOYWCL8.net 『室町幕府東国支配の研究』 江田郁夫 高志書院 東国大名の存在は、擾乱以降、不安定な状況が続いていた畿内の政治、軍事情勢を回復するうえでも重要な役割を果たした。 尊氏は文和2(1353)年に東国大名を率いて大挙上洛した。 このとき尊氏に従って活躍した「東国ノ諸大名并軍勢」として次のようなものがいた(『源威集』)。 佐竹右馬頭義篤、同刑部大輔師義、結城中務大輔直光、同大内刑部大輔重朝、常陸大椽入道浄永、那須備前守資藤、 小田讃岐守孝朝、小山左衛門佐氏政、武田陸奥守信武のほか、高坂氏重らの平一揆や白旗一揆である。 尊氏勢上洛のさいには、「関東ノ武威ヲ恐テ、洛中ノ敵従退散」、「其武勢ニ恐、山陰道南方ノ御敵、不戦洛中ヲ退散ス」という(『源威集』)。 上洛してくる東国勢の精強は、南朝方もよく知るところであった。 足利政権にとって東国大名の保持する軍事力は、まさに切り札的な存在だったといえる。 その点は、畿内での戦闘においてもいかんなく発揮され、南朝らは以降も何度か入京を果たすものの、結局は一時的なものにとどまっている。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch