大阪の都市計画について語るスレ Part272at DEVELOP大阪の都市計画について語るスレ Part272 - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト998:名無しさん@お腹いっぱい。 21/09/23 15:44:44.55 D1/B56pP.net >>982 なお20代は関西が日本で一番多い模様 >>401 999:名無しさん@お腹いっぱい。 21/09/23 15:58:01.17 9KEhEOw6.net >>969 http://www.yomiuri.co.jp/osaka/feature/CO004356/20140523-OYTAT50081.html [論]大阪の食 石毛直道 江弘毅 近江晴子(抜粋) <お好み焼きやたこ焼きという「粉もん」のイメージが強い大阪の食だが、本来の味わいは多彩で、深い。> 日本食の強みは、欧米語には翻訳しにくい独特の「うまみ」と、手を加えすぎずに素材を生かす技術にある。 そうした特徴をもつ料理は江戸時代、江戸、京都、大坂でできあがったわけだが、中心は大坂だった。 「割」は魚などの食材を割くこと、「烹」は煮ることを指す。江戸では、江戸前ずしにみられる「割」が料理の中心だった。 一方で、京都は内陸に位置し、鮮魚の入手が困難だから「烹」が主軸だ。この「割」「烹」の両方が発達したのが大坂だろう。 なぜかと言えば、立地の影響が大きい。瀬戸内の鮮魚が入るし、包丁なら堺だ。 湯浅(和歌山)や播州(兵庫)のしょうゆも含め、あらゆる物資が交通の要地である大坂に集まり、食文化を育んだ。 「うまみ」の根幹と言えるだしを取る手法を洗練させたのも大阪人だ。北海道産の昆布や、鰹節を使って。 料理人が台越しに食いきり料理を順次出すというカウンター割烹の様式も、一つの源流は大正時代の大阪にあり、各地に広がった。 「食い倒れ」の源流は、近世の町人の暮らしにある。 ケの日、つまり日常生活は質素に徹し、その一方で正月や夏祭り、法事といったハレの日は贅を尽くしたのだ。 商家なら、普段の朝はお茶漬けか粥、昼と晩はお番菜とご飯だった。 お番菜はおつゆと煮物を兼ねた料理で、昆布と鰹節、煮干しでだしをとり、野菜を炊いた。 質素でもおいしく食べたいから、各家庭でだしを研究し、それぞれ秘伝があった。 ハレの日は、仕出屋に任せた。親戚や町内の人、商売仲間も招く席で、お粗末な料理は許されない。 プロの料理人に台所で調理させ、素材と味、見た目、品数のすべての面でベストを要求した。 江戸後期の法事の記録をみると、膾(なます)、汁物、差味(さしみ)、焼き物、煮物など20品以上の本膳料理が供されている。 全国の珍味も並ぶフルコースだったらしい。料理人が調理技術を磨き、質の高い料理を生み出していたことがわかる。 ハレの食事は、店員や手伝いの人も、膳は少ないがお相伴にあずかる習慣だった。 だから、庶民に至るまで味への感性が鍛えられ、今につながっているのだろう。 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch