21/06/03 15:54:39.45 lNZe6bGG.net
>>523
戦国時代で天下統一するには戦略や地政学的に占領していく順番がある。
名古屋から京都大阪を侵略するには安土城が重要になるし、石山本願寺を征伐して占領したらその場所に拠点を移す。
安土城にしても大阪城にしても一時的な拠点でしかなく後々移転すること前提の通過点でしかない。
どちらもそこでリーダーが死んでしまったから勘違いしかだちだが、どちらにしても長期的戦略の通過点でしかない。
短絡的思考のアホにはそれがわからない。
完全なる天下を取った家康が平和の中でじっくりと広大な関東平野にユートピアを作ることになったのは必然なんだよね。
平和な江戸時代になってから江戸城と名古屋城が重視されて国家プロジェクトで作られたのもそれが将来を見越した最終形態ということ。
要は関西は戦国時代に信長と秀吉に征伐された時点でオワコンなんだよ。要塞構造や水運時代も終わってさらに終わった。
尾張周辺は地理的に日本の中心で天下を見渡すのに最適だから武将が沢山出てきたのもある。
濃尾平野や関東平野は全方位に開けているので戦国時代の中心拠点の要塞としては向いていないが、天下統一したことで四方八方から攻められる内戦の心配も無くなれば飛躍的に可能性が高まる。
今の東京(江戸)と名古屋は天下統一後の平和になった新時代に向けて国家プロジェクトで作られただけあって放射状に広がる機能的な都市を整備することが出来た。