20/10/20 20:47:03.21 SzG7dHXQ.net
>>823
(続き)
何らかの行いをすれば、それによって何らかの結果が生まれる。
それが因果の道理である。
結果はすぐにあらわれることもあれば、随分と経ってからあらわれることもある
ただ何よりもまず先に、その行いをしたという事実が結果として自分の中に蓄積されていくのが一番早い。
鉄舟は、悪い行いをしたという事実が門弟の中に蓄積されていく罰も、悪い行いができてしまう罰も、罰に気がつかない罰も、見過ごすことはできなかったのだろう。
善い行いをしたから善い結果があるのではなく、善い行いができることがすでに善い結果なのである。
悪い行いをすれば罰があたるのではなく、悪い行いをしているそのこと自体が罰なのだ。
禅における罰とはそういった類いのものである。
人が人として生きることができなければ、それは確かに恐ろしい罰だろう。
事実の蓄積を侮っていると、手厳しいしっぺ返しをくらうことになりかねない。