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100年前の大大阪の恩人の関一・大阪市長が始めた「百年の計」が終わろうとしてますね。これからは橋下徹・維新の会創業者を中心とした大大阪「百年の計」が新たに始まると思います。
大阪を仕立て替えた関市長「百年の計」 鹿間孝一
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
大阪都構想の是非を問う住民投票が11月1日に行われる。5年前に僅差で否決されたが、今回はどうなるか。
司馬遼太郎さんの表現を借りると、かつて大阪を「仕立て替え」した人物がいた。大正末から昭和にかけての大阪市長で、百人一首をもじって「知るも知らぬも大阪の関」とうたわれた関一(せき・はじめ、1873~1935年)である。
東京高商(現一橋大学)教授だったのを、当時の池上四郎市長が助役として招き、跡を継がせた。大阪人に言わせると、「関さんも偉いが、引っ張ってきた池上さんはもっと偉い」となる。
折しも商工業都市として発展し、人口が急増する大阪は、専門の都市計画論を実践する格好の舞台だった。大阪港の近代化、下水道の整備、公設市場の開設、学問の実用化を旨とする大阪商科大学の設立など、現代につながる都市インフラはあらかた関の手になる。まさに「百年の計」であった。
関は寄金を集めて大阪城の天守閣を再建したことでも知られるが、業績でひときわ輝くのは御堂筋とその下を走る地下鉄の建設だろう。
幅わずか2間(約3・6メートル)の狭い道路を24間(約43メートル)に拡幅する破天荒な計画は、市会で「飛行場にでもするのか」と冷笑された。立ち退きを迫られた沿道の地権者も猛反対した。
だが関は将来の大阪の大動脈として、南北約4キロの幹線道路の必要性を説いて引かなかった。こうも考えていた。「住み心地のいいまちでなければならない。それにはまず安全なまちでなければいけない」
江戸時代から木造建築が密集する大都市で最も恐れられたのは火災だった。大火にならぬよう、いたるところに火除地(ひよけち)が設けられた。御堂筋の幅広さは飛び火を防ぐ火除地だった。
さらに完成した道の両側に街路樹として約千本のイチョウを植えた。これもイチョウが水分を多く含んで燃えにくいからだ。
関には経営の才もあった。御堂筋の拡幅によってどれほど利益が生まれるかを算出して商家を説得し、それに応じた税金を前もって納めてもらう「受益者負担金制度」を考え出した。
そろそろイチョウ並木が色づき始める。よくパリのシャンゼリゼ通りになぞらえられるが、黄色く染まった晩秋の御堂筋は唯一無二の景観である。
関は私欲のない高潔な人格で尊敬を集めた。病に伏せると市民は平癒祈願し、61歳で没した時には父親を失ったように悲嘆したという。