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信長が見抜き、秀吉が築き、徳川が育んだ商都
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(JR西日本)
織田信長の先見性はこの地の利をいち早く見抜いた。
「大坂は日本一の境地で、主要都市にほど近く、海や川による交通に優れ、五畿七道の要として商業の適地」と、『信長公記』に記している。
1583(天正11)年に、秀吉は石山本願寺跡に豪壮な大坂城を築城した。
「三国無双の城」と賞賛され、城郭の規模は現在の4~5倍もあったという。
そして城下町は、上町台地の開発を終えた後に、城の西側の砂州を埋め立てて開発した。
その際、水運を活用するため、川を取り込み、堀を巡らせた。北に土佐堀川、南を長堀川、東は東横堀川、西を西横堀川。
これらの川や堀に囲まれてつくられた街区が船場である。
戦後、大坂は徳川支配となり、松平忠明は復興に尽くすが、商都が蘇るのは、経済都市の重要性を認識した幕府が大坂を直轄領とした1620(元和6)年以後だ。
幕府は豊臣期の大坂城に勝る豪壮な城を再建したが、城主は置かず江戸から派遣された城代が、町奉行と配下のわずかな武士で町政を司った。
ゆえに武家が半数を占める江戸に対し、大坂はほとんどが町人であった。
愛知の偉人により、今の大阪があると言って過言ではないでしょう