18/07/27 23:08:15.75 oKjTmB+Y.net
>>599
これはひどい
URLリンク(yukarino.jp)
東南アジアなどとの貿易を通じて商人たちが富を貯え、
豪華な邸宅を構えている様子を見たポルトガル人宣教師ガスパル・ビレラ
(1561(永禄4)年来日)は、堺の街をヨーロッパ随一の貿易都市
ヴェネツィアに喩え、「日本中でもっとも豊穣で有名な土地」として表現しています。
↓
ところが、そんな堺の街も織田信長に目をつけられてからは、
かつてのように自由に振る舞うことはできなくなりました。
信長は堺を手に入れるべく、まず1568(永禄11)年、堺の町衆に矢銭(やせん、軍用金のこと)を二万貫も要求。
それをハネられると翌年、一万もの軍で堺の街を包囲、降伏させています。二万貫といえば、
現在の貨幣価値では何百億円にも相当する大金です。
結局、信長の軍事力に屈した堺の町は、軍用金二万貫の負担のみならず、重い年貢や、
裁判権など堺の「自治」を象徴する権利が次々と奪れていくという現実がつきつけられ、
抗議するものは容赦なく処罰されてしまいました。