14/10/17 08:28:44.57 1nlWqanJ.net
>>425
生まれるわけがないw
三河の藤姓熱田大宮司家(藤原南家貞嗣流、本貫地:三河国額田郡乙見、愛知県岡崎市)
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→由良御前→源頼朝
藤原実範(三河国司)→藤原季兼(三河四郎大夫、伊勢権守令)→藤原季範(初代藤姓熱田大宮司家、額田冠者(三河国額田郡))→女(実父は季範長男)→足利義兼→足利義氏(三河守護)
・頼朝の母方の曾祖父藤原季兼(三河四郎大夫)は、三河国司を多数輩出した一族(祖父の兄、父、弟)に生まれる
・季兼は、伊勢神宮領荘園の荘官として都を下り三河国加茂郡(愛知県豊田市)に土着する
・季兼 (三河四郎大夫 )は、三河国加茂郡(愛知県豊田市)の未開拓の土地を開発し、高橋荘・高橋新荘(後世 八条院領大覚寺統)を立券する
・季兼( 三河四郎大夫) 、三河国額田郡(愛知県岡崎市)に移り住み、青木川菅生川流域(菅生郷)を開発、荘園化せず自らの本拠とする(後に、権益は血縁である足利氏に)
・季兼(三河四郎大夫)は、三河国設楽郡稲木(愛知県新城市)の稲木長者を滅ぼし、東三河を 支配下におく
・季兼(三河四郎大夫)室の松御前(尾張員職の娘)は、晩年三河国設楽郡(愛知県新城市稲木)で過し没する(城ヶ峰の山頂(愛知県新城市)に墓あり)
・季兼(三河四郎大夫)は、藤原資良(父の従兄弟)が尾張守になり、息子(季範、額田冠者)と共に三河に住みながら尾張目代を務める
・1109年、季兼(三河四郎大夫)が死去する
・1114年、季範(額田冠者)は、藤原南家として初めて熱田大宮司となる(大宮司職の簒奪) ←大宮司職を乗っ取られる(笑)
・季範(額田冠者)の娘(由良御前)は源義朝の正室となり、源頼朝を生む
・季範(額田冠者)の娘(養女(実父は季範長男))は源義康の正室となり、足利義兼を生む
・1154年、季範(額田冠者)が死去する
・1185年、源頼朝が幕府を開く
・1199年、源頼朝、足利義兼が死去する
・1219年、源実が朝暗殺され、1221年、承久の乱で三河の藤姓熱田大宮司家の所領が没収されると、足利義氏が縁故者として三河の権益を継承する ←足利王国の誕生