19/12/19 15:45:00 q/A9Ju2L0.net
「見抜くい奴や男を殺す事そのものが楽しいから殺しをやっているだけ」が
「ジェノサイダー翔不二咲千尋」が殺しをやっている理由だという事と
こういう類の理由で犯罪を行っている奴相手に司法って
実は何もできないとは一体何を意味するのかの答えが解明可能なのだ
そもそも「対処できる犯罪者」とは「根はいい奴」だという事である
だが「死刑」がある様に「処罰」はちゃんと下されるはずである
つまり「真の悪相手に死刑を試みる」にもなるというのに
「何故か」司法は何もできないという話なのだ
そう「実は判決結果がどういうものなのか」すら「親の言いつけどおりの展開」にして
「死刑判決が下されました」すら「親の言いつけどおりの展開」にしか過ぎないからである
つまり「親の言いつけを破った奴」相手に司法って実は何もできないだけの話なのだ
では一体何がしたくて犯罪と裁判と判決を行っているのか?
「真の悪がすることが何をするのかこっちはお見通しだぞ」という「演出」を行うためのものにしか過ぎず
「本当に死刑を行っていない」事をも意味する扱いなのだ
言い換えれば「真の悪」を逮捕または処罰するとは
「死刑など実は行われていない」という事を「白状」する事になるからできないのだ
そう「善人に殺しなどできない」という「定義」がある以上
「殺人事件全部実は自殺事件でした」にして
「死刑判決実は全部受刑者自らが自殺を行っただけのものでした」にして
「窃盗事件全部実は架空の事件でした(盗まれたものなど実はないという意味)」にして
「詐欺事件全部実は双方合意の取引でした」といった具合で
「全部見栄でした」を体現した真相だから
「本物の犯罪行為」を行う「真の悪」相手に実は何もできないだけの話なのだ
つまり「司法関係全部見栄」だからこそ真の悪相手に何もできないのだ
なぜなら「善人」にとっての「犯罪行為」は「親子関係を壊す試み」を意味する試み
「善人」にとっての「犯罪者を処罰する」は「親子関係を壊す試み」を意味する試み
「善人に親子関係を壊せない」という「定義」がある以上
「本当に犯罪行為を行うことも本当に犯罪者を処罰する事も実はできない」のである