【日本法制史】江戸時代の罪と罰(国立公文書館)at COURT
【日本法制史】江戸時代の罪と罰(国立公文書館) - 暇つぶし2ch2:石河土佐守政武
14/12/15 23:26:11.74 rOrJZUMof
21 御仕置例類集(おしおきれいるいしゅう) 図録14頁
 幕府の評定所では、刑事裁判について老中から諮問があると、どのような判決が適当であるか評議し、答申(評議書)を老中に提出することになっていました。
 『御仕置例類集』は、評議書を犯罪内容に応じて類別、編集した刑事判例集。明和八年(1771)から嘉永五年(1852)まで、五回にわたって評定所で編纂されました。
 『御仕置例類集』には、どのような判例が載っているでしょうか。
 今回展示したのは、―十代前半の少女の放火事件、夫に不倫を疑われた妻の自殺事件、火災で老父を救出できなかった息子の「罪」が問われた事件―等々。判例から、江戸時代の社会の現実が浮かび上がります。

3:石河土佐守政武
14/12/15 23:26:53.48 rOrJZUMof
■火を付けた「少女たちの罪と罰
(その一)水茶屋の下女ゑんの場合

文政五午年御渡
 火附盗賊改
  長井五右衛門伺
一 根津門前町豊八下女ゑん附火いたし候一件
               根津門前町
                 吉兵衛店
                  水茶屋
                    豊八召仕下女
                         ゑ ん
右之もの儀 少々不快之節 引込薬用致し度旨
主人豊八女房かねえ申候処 偽に可有之 為引込
候儀不相成段申聞候に付 押て相勤候処 不勤之由
にて度々厳敷叱りを受 難勤続相願候得共 本金
不差出候ては出し不申 其後ご八留守之砌 申付を
取用不申 猶又不勤之由にて 右かね儀 擂鉢え水を
入持居候様に申付候迚(とても) 暫立持居候得共 草臥 右
水をこほし候得は 度々捧にて打擲(ちょうちゃく)に逢 迚も難勤
続 居宅焼払候心底には無之(これなく) 附火いたし為騒
候はゝ暇出可申(いとまいでもうすべく)と存 見世軒先板羽目際え投火
いたし候段 幼年にて弁無之とは及(乍)申不届至極
に付 火罪御仕置にも可奉伺処 十五歳以下に付
遠島申付 請人兄長吉え預置 十五才に相成
候はゝ火附盗賊改え訴出候様申渡

此儀 十五歳以下にて附火いたし候もの預方の儀
に付 当四月評議仕申上書面之内 御定書に
子心にて無弁火を附候もの十五歳迄親類え預け置
遠島と有之候に付 火消人足等之出候を面自
存 附火いたし候ものは勿論之儀 仮令盗可致
ため附火いたし候とも 於事実子心にて仕成候類は
御定之通親類預けに相成可然哉之申上
候儀も有之 今般之ゑん儀折檻に逢候を難儀に
存 居宅焼払候心底には無之附火いたし為
騒候はゝ暇出可申と 全く子心にて仕成候儀に付
前書之通御定にて伺之通達島申付 請人兄
長吉え預け置 十五歳に相成候はゝ火附盗賊改え
訴出候様申渡
  評議之通済

*本金をつく―召仕などが過失で暇を出されるとき、すでに与えられた給金を返還すること。「本金」はすでに払った給金のことか。

4:石河土佐守政武
14/12/15 23:29:26.52 rOrJZUMof
【罪】
 「気分がすぐれないので休ませてほしい」「薬がほしい」ゑん(数え年で十五歳〈満十三、四歳〉未満)が願っても、主人の女房かねは「ウソだ」と言って休ませてくれない。無理をして働いても、「働きが悪い」とひどく叱る。
もう耐えられない。ゑんは「やめさせてほしい」と願い出たが、「支払い済みの給料を返還しなれはやめさせない」と突っぱねられた。
こんなことも。働きが悪い罰として、水を満たした擂鉢(すりばち)を持ったまま立たせられたゑんは、過労の余り水をこぼしてしまった。(激昂した)かねは、棒でゑんを打ち続けた。
このままでは(殺されてしまう)。ゑんは、主人の家を焼き払うつもりはなかったが、火を付ければ自分を解雇してくれるかもしれないと思って、店の軒先の板塀に火を付けた。
【罰】
本来なら火罪であるが、十五歳以下(数え年十五歳未満)なので、御定書に従って遠島の刑に。十五歳になるまでゑんの身柄を兄の長吉に預け、十五歳に達したとき火付盗賊改に訴え出るよう申し渡す。

5:石河土佐守政武
14/12/15 23:30:58.71 rOrJZUMof
ゑんの放火は「全く子心にて仕成候」(思慮の足りない子どもの犯行)と見なされたのである。

6:石河土佐守政武
14/12/15 23:31:27.04 rOrJZUMof
(その二)幼な妻てるの場合

文政八酉年御渡
火附盗賊改
 長井五右衛門伺
相州田名村庄左衛門孫亀士亀吉女房
てる附火いたし
候一件

             相州高座郡
              田名村百姓
                庄左衛門孫
                   亀吉女房
                      て る
右之もの儀 重右衛門方え嫁候砌 妊身に相成候間
其段同人え申聞候処 出産いたし候ては 先妻之
子供も有之 厄介多にて家業相成兼候間 流産
可致旨申聞候付 不心成候得共 夫任申旨堕胎致し
候後姑りた儀   親子相談之上流産為致候様噂
有之 迷惑之由申之 其砌詰より重右衛門一間えは為臥
不申 彼是六ヶ敷申聞 難居遂取扱候間 一先家出
いたし候処 却て難題を申 種々侘候ても不聞入
其上持参り候品は売払 相返不申 両人之心底
余り邪見之儀と頻に残念に存 同人居宅え附火
いたし 隠宅灰屋とも不残焼払候段 不届至極に付
火罪御仕置にも可奉伺処 十五歳以下に付 遠島申付
親藤助え預置 十五歳に相成候はゝ 火附盗賊改え
訴出候様申渡

7:石河土佐守政武
14/12/15 23:32:52.29 rOrJZUMof
【罪】
てる(数え年十五歳未満)は、重右衛門に嫁いで妊娠した。ところが夫は「うちには前の女房の子もいるし、子どもが増えると家業が成り立たないので、堕ろすように」と言うので、心ならずも堕胎した。
その後姑のりたは、「親子(重右衛門とりた)が相談して堕胎させたと噂されて、迷惑」と、なにかにつけててるに辛くあたり、夫婦を一間に寝せなかった。
こんな家には居られない。てるは家を出たが、夫と姑は、これ幸いと難題を申しかけ、てるがいくら謝っても聞き耳持たず。てるが嫁入りの際に持参した品も返さず売り払ってしまった。
あまりに酷い仕打ち。てるは恨みの余り、重右衛門の家に火を付け、その結果、姑の隠居宅ともども家は全焼した。
【罰】
十五歳以下なので、御定書に従って遠島の刑に。
てるは十五歳に達するまで身柄を親の藤助に預け、十五歳に達したとき火付盗賊改に訴え出るよう申し渡す。

8:石河土佐守政武
14/12/15 23:36:24.03 rOrJZUMof
江戸時代の主な刑罰―『御定書百箇条』(『棠蔭秘鑑』より)

火罪(かざい) *火あぶり 放火犯の刑
引廻の上 浅草・品川に火罪申付る 在方は火を附候所へ差遣侯儀も有之 引廻捨札番人右同断 但物 取(ものとり)にて無之(これなき)分は不及捨札 闕所右同断
・・・
遠島(おんとう) *島流し 流罪 死刑についで重い罪 あやまって人を殺した者などの刑
江戸より流罪(るざい)のものは 大島 八丈島 三宅島 新島 神津島 御蔵島・利島 右七島の内へ遣
京大坂四国中国より流罪の分は 薩摩 五島の島々 隠岐国 壱岐国 天草郡へ遣 但田畑家屋敷家財共に闕所

9:石河土佐守政武
14/12/17 00:23:45.73 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎
右之もの儀 父太兵衛乱心いたし手荒有
之 居宅に圏囲補理入置 療養看病罷在
候得共 追目乱心差募強気手荒に成 圏囲
打砕抜出候に付 早速取留候得共 又候右躰之
儀不及様圏手丈夫に補理直し中 居宅間狭に
候迚 裏緑続土蔵内に仮圏囲いたし置 去る
酉十二月廿二日夜 此もの附添 同夜八時分 煎
薬可為給と暫時居宅え立戻居候内 土蔵
騒敷 早速駈付候処 行燈差置候辺燃上り
有之候に付 囲引明太兵衛を連出 居宅表口
迄は立退候得共 追々近辺之もの寄来り
混雑中 弥取昇強気相募 振放 此ものを
突倒候に付 取すかり候得共 投倒され 難取
留 夜中之儀見紛れ 所々尋参り居候内 火
も鎮り候処 焼落候士蔵入口際に太兵衛焼
死罷在候儀共 乱心もの之儀に候得は 非常
等之節 連退候手当は兼て可致置処
看病人等不手当にて 其上居宅にも無之
場所に差置 殊に火之元之儀疎略等閑
之始末 不届に付 中追放
此儀 御定書に家焼失之時親焼死候を
捨置遁出候もの死罪と有之 右は親え
頓着不致遁出候もの之儀に可有御座哉
勿論此ものも親太兵衛を一旦居宅表
口迄連出候上は 仮令如何様手荒に
立騒候とも身命を捨取すかり候はゝ
見紛れ可申様無之哉にて 畢竟親を
大切に存候志薄きに相当り候得共 吟味
書朱書に此もの平日孝心にて親病中
も大切に看病いたし候由は 町役人并伯父
九兵衛申口も符合いたし候趣に有之
【中略】
与惣次郎と強て軽重も無御座候間
右例に見合 遠島
 評議之通済

10:石河土佐守政武
14/12/17 00:24:49.78 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎
右之もの儀 父太兵衛乱心いたし手荒有
之 居宅に圏囲補理入置 療養看病罷在
候得共 追目乱心差募強気手荒に成 圏囲
打砕抜出候に付 早速取留候得共 又候右躰之
儀不及様圏手丈夫に補理直し中 居宅間狭に
候迚 裏緑続土蔵内に仮圏囲いたし置 去る
酉十二月廿二日夜 此もの附添 同夜八時分 煎
薬可為給と暫時居宅え立戻居候内 土蔵
騒敷 早速駈付候処 行燈差置候辺燃上り
有之候に付 囲引明太兵衛を連出 居宅表口
迄は立退候得共 追々近辺之もの寄来り
混雑中 弥取昇強気相募 振放 此ものを
突倒候に付 取すかり候得共 投倒され 難取
留 夜中之儀見紛れ 所々尋参り居候内 火
も鎮り候処 焼落候士蔵入口際に太兵衛焼
死罷在候儀共 乱心もの之儀に候得は 非常
等之節 連退候手当は兼て可致置処
看病人等不手当にて 其上居宅にも無之
場所に差置 殊に火之元之儀疎略等閑
之始末 不届に付 中追放

11:石河土佐守政武
14/12/17 00:26:13.86 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎

12:石河土佐守政武
14/12/17 00:27:32.50 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎
右之もの儀 父太兵衛乱心いたし手荒有
之 居宅に圏囲補理入置 療養看病罷在
候得共 追目乱心差募強気手荒に成 圏囲
打砕抜出候に付 早速取留候得共 又候右躰之
儀不及様圏手丈夫に補理直し中 居宅間狭に
候迚 裏緑続土蔵内に仮圏囲いたし置 去る
酉十二月廿二日夜 此もの附添 同夜八時分 煎
薬可為給と暫時居宅え立戻居候内 土蔵
騒敷 早速駈付候処 行燈差置候辺燃上り
有之候に付 囲引明太兵衛を連出 居宅表口
迄は立退候得共 追々近辺之もの寄来り
混雑中 弥取昇強気相募 振放 此ものを
突倒候に付 取すかり候得共 投倒され 難取
留 夜中之儀見紛れ 所々尋参り居候内 火
も鎮り候処 焼落候士蔵入口際に太兵衛焼
死罷在候儀共 乱心もの之儀に候得は 非常
等之節 連退候手当は兼て可致置処
看病人等不手当にて 其上居宅にも無之
場所に差置 殊に火之元之儀疎略等閑
之始末 不届に付 中追放

13:石河土佐守政武
14/12/17 00:33:05.83 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎
右之もの儀 父太兵衛乱心いたし手荒有
之 居宅に圏囲補理入置 療養看病罷在
候得共 追目乱心差募強気手荒に成 圏囲
打砕抜出候に付 早速取留候得共 又候右躰之
儀不及様圏手丈夫に補理直し中 居宅間狭に
候迚 裏緑続土蔵内に仮圏囲いたし置 去る
酉十二月廿二日夜 此もの附添 同夜八時分 煎
薬可為給と暫時居宅え立戻居候内 土蔵
騒敷 早速駈付候処 行燈差置候辺燃上り
有之候に付 囲引明太兵衛を連出 居宅表口
迄は立退候得共 追々近辺之もの寄来り
混雑中 弥取昇強気相募 振放 此ものを
突倒候に付 取すかり候得共 投倒され 難取
留 夜中之儀見紛れ 所々尋参り居候内 火
も鎮り候処 焼落候士蔵入口際に太兵衛焼
死罷在候儀共 乱心もの之儀に候得は 非常
等之節 連退候手当は兼て可致置処
看病人等不手当にて 其上居宅にも無之
場所に差置 殊に火之元之儀疎略等閑
之始末 不届に付 中追放

14:石河土佐守政武
14/12/17 00:38:30.33 PXj2sgVA3
■乱心の父親を火事で死なせた息子の罪と罰

文化十一戌年御渡
京都町奉行伺
一 京都大宮一条下る梨木町太兵衛致
  焼死候一件
            大宮一条下る梨木町
                太兵衛忰
                      与惣次郎
右之もの儀 父太兵衛乱心いたし手荒有
之 居宅に圏囲補理入置 療養看病罷在
候得共 追目乱心差募強気手荒に成 圏囲
打砕抜出候に付 早速取留候得共 又候右躰之
儀不及様圏手丈夫に補理直し中 居宅間狭に
候迚 裏緑続土蔵内に仮圏囲いたし置 去る
酉十二月廿二日夜 此もの附添 同夜八時分 煎
薬可為給と暫時居宅え立戻居候内 土蔵
騒敷 早速駈付候処 行燈差置候辺燃上り
有之候に付 囲引明太兵衛を連出 居宅表口
迄は立退候得共 追々近辺之もの寄来り
混雑中 弥取昇強気相募 振放 此ものを
突倒候に付 取すかり候得共 投倒され 難取
留 夜中之儀見紛れ 所々尋参り居候内 火
も鎮り候処 焼落候士蔵入口際に太兵衛焼
死罷在候儀共 乱心もの之儀に候得は 非常
等之節 連退候手当は兼て可致置処
看病人等不手当にて 其上居宅にも無之
場所に差置 殊に火之元之儀疎略等閑
之始末 不届に付 中追放

15:石河土佐守政武
14/12/17 00:50:05.73 PXj2sgVA3
此儀 御定書に家焼失之時親焼死候を
捨置遁出候もの死罪と有之 右は親え
頓着不致遁出候もの之儀に可有御座哉
勿論此ものも親太兵衛を一旦居宅表
口迄連出候上は 仮令如何様手荒に
立騒候とも身命を捨取すかり候はゝ
見紛れ可申様無之哉にて 畢竟親を
大切に存候志薄きに相当り候得共 吟味
書朱書に此もの平日孝心にて親病中
も大切に看病いたし候由は 町役人并伯父
九兵衛申口も符合いたし候趣に有之
【中略】
与惣次郎と強て軽重も無御座候間
右例に見合 遠島
 評議之通済

16:石河土佐守政武
14/12/17 00:52:15.65 PXj2sgVA3
【罪】
与惣次郎は、父の太兵衛が乱心して(精神を病んで)暴力を振るうので、座敷牢を設けて療養させていた。しかし父の病状は悪化の一途をたどり、暴力もひどくなるばかりだった。ついに座敷牢をこわして抜け出す始末。
与惣次郎は、座敷牢の補強が済むまで.土蔵内に仮の座敷牢を作り、太兵衛の部屋とした。
昨年十二月二十二日夜、土蔵の行灯がある場所から出火。
与惣兵衛はただちに駆け付け、太兵衛を土蔵内から連れ出したのだが…。騒ぎに興奮した太兵衛は与惣次郎を突き倒して姿を消した。鎮火後、焼け落ちた土蔵の入口辺で太兵衛の焼死体が発見された。
【罰】
 父が乱心者であれば、火事など非常事に速やかに救い出 せるよう、かねてより心がけていなければならない。しかるに忰(せがれ)の与惣次郎は、(座敷牢を再建中 とはいえ)父を目の届かない土蔵内に置き、しかも火の元の監視が不十分だったのは、「不届」である。
 以上の理由で与惣兵衛は中追放とされた。
 その後評議の結果、刑はさらに重い遠島に。「与惣次郎 は父を大切に看病する孝行息子だが、父がどんなに手荒 に突き倒しても、命がけで取りすがれば見失うことはなかったはず。結局親を大切に思う気持ちが薄かったからだ」とされたのである。

17:石河土佐守政武
14/12/17 00:52:43.61 PXj2sgVA3
■不倫を疑われて自害した妻
   その夫の罪と罰

文政九戌年御渡
 町奉行
 筒井伊賀守伺
一 本銀町三丁目善五郎店忠兵衛不実之
   取計いたし候一件
                本銀町三丁目
                  善五郎店
                             忠兵衛
右之もの儀 妻しけ洗湯買物等に出候砌
手間取 遅く立帰 又は断も不致他行
いたし 酒に給酔帰宅いたし候に付 密夫
有之儀と相疑 異見差加候共 密夫之
心当も無之上は取計方も可有之処 無其
儀 当正月廿八日暁七時過 猶又密夫之名所
可申聞旨強て申募候に付  しけ儀差迫
身晴之ため自害可致と 剃刀咽え当候を
差留も不致帳故 咽を切相果候仕儀に相成
其上一旦相違之儀申立眈候段 右始末不届
に付 中追放
此儀吟味書之趣にてはしけ儀 断も不致
【中略】
可有之哉と心付居候得共 密夫之心当も
無之候間 実事を様(ためし)可申と 牛王之札を
取出し 可呑旨申聞候処 迚も一と通之申
訳にては承知も致間敷候間 身晴之ため
自害可致旨にて剃刀取出し咽え当候得共
威之ためにいたし成候儀と存 其侭に致し置
候処 咽を切相果候と有之
【中略】
           牛王札を呑聊仔細も
無之儀之処 自害致し候段 身晴之ため
と之しけ申口不都合にて 畢寛申訳無之
故之儀と相聞 夫におゐては威之ため仕成候
儀と心得 不差留も無余儀次第に有之
右之廉におゐては御咎附候筋有御座間敷と
【中略】
例に見合 格別軽く御座候間 急度叱
 評議之通済

18:石河土佐守政武
14/12/17 00:53:14.86 PXj2sgVA3
【罪】
忠兵衛の妻しけ(しげ)は、銭湯や買物に出かければ帰
宅が遅く、何も告けずに外出し、酒に酔って帰ることも。
男が出来たのでは。忠兵衛は不倫を疑ってしけを問い詰めた。
正月二十八日未明。忠兵衛が「相手の男の名を言え」と
強く迫り、さらに潔白を証明するためにこれを飲んでみ
ろと、牛王の札を突きつけた(ウソを言うと天罰が下ると信じられていた)。
もう何を言っても信じてもらえない。しけは「疑いを晴
らすため自害します」と剃刀をみずからの咽に当てた。
どうせ口先だけのおどしに違いない。忠兵衛が止めずに
いたところ、しけは咽を切って絶命した。
【罰】
妻が剃刀を咽に当てて自害しようとしたのを止めなかっ
たこと。および当初妻の自害の経緯を偽って申し上げた
 ことの二点が「不届」とされ、忠兵衛は中追放に処すべ
きとされる。
 しかしその後、しけが自害したのは、詰まるところ弁解
 のすべがなかったからだ(不倫の事実があった)とされ、
 忠兵衛は急度叱(きっと叱り)の軽微な処分に。

19:石河土佐守政武
14/12/20 23:07:05.18 Fhj92nMWU
20 黄紙(きがみ) 図録14頁
 江戸時代には、多くの罪人が重い刑に処せられました
が、三奉行(寺社奉行・町奉行・勘定奉行)や火付盗賊
改等の判断だけで遠島や死刑などの重罪が即決したわけ
ではありません。重い刑を申し渡す場合、刑の決定に迷
う場合は、三奉行や火付盗賊改は老中に「仕置伺(しお
きうかがい)」を提出し、どのような刑に処すべきか、
指図を仰ぎました。
 その際、犯罪事実などを記した「吟味書」に添付した
のが「黄紙」。黄紙には、罪状に加えて「死罪可申付候
哉」(死刑が妥当ではないでしょうか)というような伺が
記されています。仕置伺を受け取った老中は、担当の奥祐
筆(おくゆうひつ)に先例などを精査させたのち、刑を決
定しました。

20:石河土佐守政武
14/12/20 23:08:26.64 Fhj92nMWU
①市次郎
此市次郎儀 [   ]壱ヶ所河岸納屋外に有之板類盗取
剰横浜表甚英吉利人商館弐ヶ所え四度板塀乗越 又は
明き有之処より這入 或は土蔵窓〆り等切破り忍入 鉛其外
盗取 右品売払代金都合四拾七両銀十三匁銭十貫目
不残酒食雑用に遣捨候始末不届に付 存命に候得は
御定之通り死罪可申付候哉
 【要約】
  横浜の英国人商館に何度も忍び入り、鉛ほかを盗み出
  して売却。その金を残らず酒食等に費やした市次郎は、
  存命ならぱ(すでに死亡していたらしい)死罪に処す
  べきでは。

21:石河土佐守政武
14/12/20 23:09:00.19 Fhj92nMWU
②伝次郎
此伝次郎外弐人儀 質入之世話いたし又は質入いたし遣候
品は不正或は盗衒(かたりとり)取候品に有之処 其儀は不存候共
得と出所も不相糺 伝次郎は吉五郎任申旨 長次郎を
頼質入之世話いたし 長次郎・なかは銘々相頼候連
置主に成質入いたし遣候段 一同不埒に付 伝次郎は急度
叱 長次郎は過料三貫文 なかは三十日押込可
申付哉
 【要約】
  不正の品や盗品等の質入れに関わった伝次郎・長次郎・
  なかの三人を、それぞれ急度叱り・過料三貫文・三十
  日の押し込めに処すべきでは(との伺)。

22:石河土佐守政武
14/12/20 23:09:25.55 Fhj92nMWU
③竹松
此竹松儀 百姓家又は物置所入口建寄有之戸を明け 明き
有之所這入 〆り無之櫃手元又は緑先等に取出し有之衣類
帯隠盗取 家内之もの立帰候節は 被捕押間敷と存
品物捨置迯去 剰附火いたし 噪(さわぎ)之紛れ盗可致と 落散
有之候粟之枯穂を拾ひ集め 所持之火道具にて火拵ひ
いたし 百姓家軒下に積有之茅之中え附火いたし 其節
透も無之不得盗候得共 右始末重々不届至極に付 町中
引廻し之上 五ヶ所に科書捨札建之 火罪可申付候哉
 【要約】
  人の家に忍び入り盗み(空き巣)をはたらいたばかり
 か、騒ぎにまぎれて盗みをしようと火を付けた竹松は
  「重々不届」であり、町中引廻の上、火罪に処すべき
では。

23:石河土佐守政武
14/12/20 23:09:46.56 Fhj92nMWU
④次郎
此次郎儀 下総国塚崎村武衛門宅床下壁を
押破り這入 又は同村久兵衛宅入口建寄有之
戸を明立入 いつれも長持錠前を固辞明(こじあけ)
衣類品々盗候始末不届に付 死罪可申付
候哉
 【要約】
 村の住人の家に盗みに入り、長持の錠をこじ開けて、
 衣類等の品を持ち去った次郎は、死罪に処すべきでは。

24:石河土佐守政武
14/12/20 23:10:20.66 Fhj92nMWU
⑤勘吉
此勘吉儀 先達て不届有之 敲又は入墨之上両度
重敲に成候身分にて 猶悪事不相止 誰発意と申義も
無之 押込盗可致旨文平申合 寺院其外五ヶ所 手拭にて
面躰を隠し 抜刃又は出刃包丁等を携押込 金子可差出
声立候はゝ可切殺旨申威金銭奪取 又は不得奪候共
右始末不届至極に付 獄門可申付候哉
 【要約】
  勘吉は、入墨や重敲などの刑を受けた前科者でありな
  がら、悪事を繰り返し、文平と共謀して寺院ほかに押
  込み強盗に入った。手拭いで顔を隠し、刀や出刃包丁
  を手に「金を出せ。さわぐと殺すそ」と脅して金を奪
  い取る。うまくいかない場合もあったが、いずれにし
  ろ「不届至極」。獄門の刑がふさわしいのでは。

25:石河土佐守政武
14/12/20 23:11:20.89 Fhj92nMWU
⑥小林忠雄
此の小林忠雄 横浜表 [                       ]
罷越 鞭様之ものにて肩を敲候処 右は魯西亜人 [         ]
をも不憚右躰之次第におよひ候段 頻に心外相成 密に及殺害
憤を可晴と同道之高倉長八郎・竹三郎え相咄候処 両人共
同意之上 長八郎儀多人数にては目立候間 同人は先え帰国可致旨
にて立別 竹三郎両人にて尋歩行 支那人に出合 右魯西亜人と
心得 此もの義刀を抜 肩先え切付 既に右癌にて相果候次第に
至り 翻田丸左京儀筑波山屯集いたし候もの共為鎮静罷越
候節附添参り候処 同人義却て右党之首悪に相成 日光山え
登山いたし攘夷之儀奉祈誓 多人数集居罷在候はゝ其侭難被
差置御場合より御決定にも可相成 右に付ては多分之入用も相掛
候に付 金策可致旨左京差図に任せ 山田一郎・朝倉祐真申合
近国村々身元相応之もの相探呼出し 外夷を打払ひ候間 右
軍用金可差出旨手強に申談 追々に都合金三千両程押て為差出
其上左京倶々大平山又は筑波山え屯集いたし 其後那珂湊え
罷越 武田伊賀一同楯籠 御討手え御敵対致し戦争およひ
終に難敵対候迚脱走いたし 京都を志し国々軍装を以暴行
所々動乱為致 御大法を犯し不容易所業におよひ候段 不恐
公儀を仕方 右始末重々不届至極に付 厳科にも可被処処 右
次第恐入候儀と左京倶々加州勢え降伏いたし候付 格別之
御宥免を以 死罪可被仰付候哉
 【要約】
  水戸藩の小林忠雄は、横浜で魯西亜人(ロシア人)に
  鞭(むち)で肩をたたかれて激昂。たまたま出合った
  支那人(中国人)をその魯西亜人と見間違えて斬殺し
  た。小林はその後、天狗党の乱(水戸藩尊嬢激派の挙
  兵)に加わり公儀に敵対したが、のち降伏した。本来
  ならばさらに厳しい刑に処すべきだが、降伏したこと
  を評価し、死罪に処したいが、いかが。
*「黄紙」の「伺」通りとなり、小林忠雄は慶応
元年(一八六五)八月に横浜で死罪に処せられた。

26:石河土佐守政武
14/12/20 23:14:30.59 Fhj92nMWU
【要約】
  水戸藩の小林忠雄は、横浜で魯西亜人(ロシア人)に
  鞭(むち)で肩をたたかれて激昂。たまたま出合った
  支那人(中国人)をその魯西亜人と見間違えて斬殺し
  た。小林はその後、天狗党の乱(水戸藩尊攘激派の挙
  兵)に加わり公儀に敵対したが、のち降伏した。本来
  ならばさらに厳しい刑に処すべきだが、降伏したこと
  を評価し、死罪に処したいが、いかが。
*「黄紙」の「伺」通りとなり、小林忠雄は慶応
元年(一八六五)八月に横浜で死罪に処せられた。


最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch