21/08/05 01:48:41.14 6sZynVO4.net
徳川慶喜は日本の経済近代化のプランを持っていたが大政奉還では動きが取れず渋沢と弟昭武に託した
渋沢は国立銀行を創設し日銀に繋がって行く
水戸藩の御用商人だった川崎が官公庁の金庫番になり大きくなった
各県の金庫番になる為、各県に銀行を設立
常陽、千葉、足利を設立
神奈川は既存の銀行を配下にし横浜銀行とした
川崎金融財閥は陰の日銀と言われた
戦時中、本家川崎銀行は三菱銀行と合併した
店舗数は川崎の方が多かった
川崎系の地銀は三菱系になった所以
川崎が水戸に設立した常磐無尽が東日本銀行に変わり後に横浜銀行に吸収される
川崎チルドレンが合併すれば大きい都市銀行になれるが三菱がいい顔しない