19/11/14 17:44:10 jL7KAJ/3.net
中国の旧満州の好太王の碑に倭と戦った歴史が刻まれている。
そこに倭を伽耶(加羅)に押し返しとあるが、任那・伽耶・加羅は倭人が住む地域だったのではないだろうか?
宋書に倭の五王の記述がありこれにも五王が百済の救援で高句麗と争っている事が記述されている。
倭の五王は半島にも派遣できる兵を調達できる動員力があったので世界最大の仁徳天皇陵を造営できた可能性がある。
この時代一衣帯水で倭人が半島南部から西日本一帯に住んでいた時代だと推測される。
アメリカの研究で日本語の起源は半島南部方言説がある。天智天皇の時代の白村江の敗戦で半島に残された百済人・倭人は新羅人と同化で言葉は失われたと推測する。
朝鮮半島の言葉は全て新羅系になり日本語と朝鮮語の言葉で共通の言葉がなくなる。
無謀にも唐・新羅の連合軍に挑んだ理由は、韓国南部は百済人や倭人が大勢住む地域だったからだと推測。韓国人は血縁的に最も日本人に近い民族だ。
日本語に最も近い言葉は百済や伽耶(加羅)諸国の言葉だったが白村江の敗戦で失われた。
百済や伽耶(加羅)諸国と倭国との関係は深く、ここからの鉄器や仏教や漢字や法隆寺などの先端技術や先端文化を大和朝廷は仕入れて軍事力だけでなく日本統治に利用していた。