19/08/19 07:56:54.34 9UVDbQBH.net
>>769
江戸後期の天保の大飢饉で関東、東北で餓死者が数十万人出た。
江戸へ送られてくる米も減った。
この時、江戸幕府が目を付けたのが大阪
大阪奉行所は豪商と結託して、将軍様のいる江戸が飢饉になると大変だと大阪の米を江戸へ廻送した。
結果、大阪近辺の米価なども7倍ほどに高騰
大阪や京でも毎日、数百人が餓死するほど困窮
大塩平八郎も始めは私財を投げ売り庶民を救っていたが
最後は幕府の腐敗ぶりに、きれて大塩平八郎の乱が起こったほどだからな。