16/08/03 18:47:01.89 wSHCot0d.net
・NEC、正式名称は日本電気
・創業者は、岩垂邦彦(小倉藩出身・安政4年生まれ)
・小倉藩育徳館卒業、小倉藩洋学校卒業、工部大学校電信科(現在の東大工学部)官費入学卒
・明治19年、米国エジソン・マシンワークス入社
・トーマス・エジソンのテスティング・ルームにて勤務
・明治21年 大阪電灯 技師長
・トムソン・ウェスタン(ATT系)の設備を推薦し、大阪電灯はそれを導入
・大阪電灯が購入発電機をコピー生産開始、それを信義に反するとして同社辞任
・トムソン・ウェスタン、ゼネラル・エレクトリックと合併
・合併した、ゼネラル・エレクトリックは、岩垂に代理店権を与える。岩垂電気商店設立
・岩垂、沖電機工場との合併を提案するが、独自開発に拘った沖は、合併拒否
・岩垂、三吉電機工場を買収。
・岩垂とウェスタン・エレクトリック(電話発明したベルの関連企業)が合併、日本電気創業
・ウェスタン・エレクトリックの代表作が一体化電話機102型(いわゆる黒電話)
・岩垂がウェスタン・エレクトリックと合併しなければ、たぶん黒電話の形でなかった
・NECの旧ロゴのデザインは、ウェスタン・エレクトリックのロゴが由来
・岩垂とウェスタン・エレクトリックの合併が、日本初の外資との合併
・戦前は、電話交換機が主製品
・昭和3年にファクシミリ電送に成功(技術開発に熱心)
・日米開戦で、米国が抜けた際に、住友に経営委託され、住友財閥入り。住友通信工業を終戦までの2年名乗る
・戦後、日本電気に社名戻す(住友グループ所属はそのまま、ただし住友グループのマークは使わず。微妙に所属、微妙に独立)
・戦後、通信関係や真空管や半導体をメイン
・戦後の後、電子部品に進出
・その後、家電・無線通信機器に進出
・昭和33年ごろからコンピューター開発に進出
・昭和45年に日本初の人工衛星を開発。この頃、何屋なのか段々わからなくなる。
・昭和52年に新理念C&Cを発表し、電電ファミリー(電電公社の関連企業)を脱して、総合電機メーカーを目指す
・昭和57年、PC-98シリーズ登場し、DOS/V時代が始まるまで日本で天下を取る。最高位で世界第三位のPCメーカーだった。
・昭和60年(1985)、半導体生産、世界一を達成(バブル崩壊の~1991まで6年連続世界一)
・平成2年(1990)本社ビルとして、NECスーパータワーを建設。これ以降、日本経済と共に、衰退時期に入る
・パソコン市場の競争激化、起死回生を狙ってパッカードベル買収するも失敗
・韓国勢が半導体部門で追い上げ、徐々に苦しく
・切羽詰まって、防衛庁の見積もり水増しして、それ発覚。経営陣交代で更に混沌、混迷。
・2001年事業統廃合で、プリンター事業部を富士ゼロックスに売却。以降、OEMに切り替え
・2002年スーパーコンピューター、地球シミュレータを完成させ日米各社を引き離し世界一を再奪取。技術健在をアピール
・スパコン、地球シミュレータの性能が圧倒的だったので、NECのブランド少し回復
・2007年、日産と共同でリチュウムイオン電池事業に進出。自動車電池を作る。ほんとに何屋なのか不明に
・2011年、PC事業部を分社化し、レノボと合弁企業に。いつの間にか中国にPC事業乗っ取られる
・2012、海外携帯から撤退した際に払った補償金100億を、国税がなぜか交際費と認定。脱税扱いされイジメられる。
1990年が絶頂期で、それ以降迷走しまくってるな。