武田薬品工業株式会社総合スレッド20at BIO
武田薬品工業株式会社総合スレッド20 - 暇つぶし2ch942:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/06 19:18:53.47 .net
  彡⌒ ミ   20歳まで外国を知らず/フランス人社長 老舗を背負う #1
⊂(´・ω・`)  クリストフ・ウェバー 武田薬品工業CEO
 /    ,9m
 し―-J   みなさん、こんにちは。武田薬品工業の社長のクリストフ・ウェバーです。社員からはクリストフとファースト・ネームで呼ばれています。
まずは自己紹介を兼ねて、私のこれまで歩んできた道について書きたいと思います。
私はフランス・アルザス地方ストラスブールの出身です。ドイツとの国境に近いアルプスのふもとで、少年時代は山登りばかりして育ちました。
製薬業界に入ったのは、なんといっても医者だった両親の影響が大きいでしょう。姉もパリで心臓病の専門医の道を選びました。親族にも医者と大学教授が多く、子供のころから本を読むことが多かったです。
◎突然の「父と弟の死」
ある日、父の死と弟の死が突然、訪れました。その後の人生とキャリアを大きく左右した出来事です。一緒に山登りをしていた時に雪崩がおきて、父は私の目の前で亡くなりました。
私はまだ15歳。家族を背負わなければいけないという大きな責任を感じ、危険な高い山への登山はやめ、その代わり、勉学に集中するようになりました。
その後、7歳年下の弟を車の事故で亡くしました。こうした悲劇が、人の命に関わる仕事を選ぶことにつながったと思っています。
大学では生物学と薬理学を学びました。薬理学と薬物動態学で博士号をとり、統計学も勉強しました。新薬の開発は実験の繰り返しですからね。ファイナンスも勉強しました。これは社長になったいま、すごく役にたっています。
初めての勤め先はオーストラリアのローカルな製薬会社でした。実はこれが私のグローバルな体験の第一歩。今でこそ仕事で世界を飛び回っていますが、両親が地元に根付いた医者だったため、20歳になるまでずっと同じ場所で暮らしていました。
英語は就職して初めて勉強したんですよ。スタートが遅いですよね。フランスの片田舎で生まれ育ったので、外国語の習得はそんなに必要なかったんです。
いま、日本人社員と話をするとき、英語で苦労しているようにみえます。「心配するな。英語が話せなくても自信をもて」と、いつも言っています。
英語がほとんどできなかった私が言うのですから、説得力があるでしょう?もっと言えば、彼らが話す相手である社長自身が、フランス語なまりの強い英語を話しているのですから。


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