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東学農民戦争,抗○蜂起と殲滅作戦の史実を探究して
― ○国中央山岳地帯を中心に ―
・・・1) 現地調査,討伐作戦の基本方針と武力の問題
本部の「陸軍文庫」に収蔵された。日誌作成の「目的」は,甲乙の二項あり,「甲」は二つで,一は「後来戦史ニ用ヒ」であるが,二は「各人ノ任シタル勤務」について陸○省で戦功「詮衡
ノ参考」にするためであった (例式の第三)5)。
上官の点検を受け,陸○省での戦功審査の資料にされる。そのような「陣中日誌」に,最前線の凄惨をきわめる様相がほとんど記されないのは,予想されることである。
その点,討伐部隊に従軍した一兵卒が戦場を一個人の記録として記した「従軍日誌」は,日本でもはじめて紹介された学術的に貴重な資料である。
筆者は,○○○○○○ (現,○○市) の○○川南岸にある村出身の兵士であった。○清戦争下,第 2 次東学農民戦争から 6 年後,1901 年 1 月に親族の助けも得て,巻物に清書された記録である。表題は,「○○二十七年,○清交戦従軍日誌」。
長さ,9 メートル 23 センチ,幅,34 センチ,墨書された,長大な「従軍日誌」である。「従軍日誌」に記された戦場最前戦の苛酷な有様は,それまで公的文書に記されていた第 2 次東学農民戦争像と大きく異なるものであった。
「従軍日誌」は,歴史の「負の記録」であり,東アジアの歴史の遺産というべきものである・・・ >