20/10/25 14:13:43.63 /nyOpFel.net
ロシアが欧州での南下政策でドイツ帝国と対立したことで、弱体化していた清国に目をつけ、極東への南下政策に方向転換が始まります。
・露土戦争の後、ロシアはバルカン半島の支配権を得るがドイツ帝国の介入により放棄させられる。これにより、ロシアの南下政策が極東アジア進出に方向転換することになる。
・ロシア南下政策が極東アジアで進展することは、イギリスにとって重要な植民地である中国やインドを脅かすことになるため、アジアの精鋭である日本と英国が手を組み「日英同盟」が締結される。
・当時専制国家であった朝鮮はロシアに対抗するだけの力はなく、今の北朝鮮と同じように国家予算の半分が王室関連であり、3割が人身売買される奴隷制度もあった。
・王家から派遣された地方官は無給ゆえに住民から財産を収奪するような有様で経済が破綻していた。(しかし、毎年冬至の日に定められた朝貢は行われていた。)
・当時の挑戦はとてもロシアと戦えるような状況ではなく、日本から朝鮮に救援米を送るなど支援をしていたが、朝鮮は中国同様に王家による専制国家ゆえに人民の勤労意欲は乏しく、その結果、国家の経済力も軍事力も貧弱であった。
・ロシアの南下を食い止めるために、朝鮮の近代化が必要であったが、李朝下の500年間、道路も橋も港湾もなく、王家や官僚に搾取され文明が止まっていた朝鮮は自ら改革を成し遂げることは難しいと考え、朝鮮国の意思で日本への併合を決定した。