19/08/07 20:59:00.73 ygqGuvTL.net
>>554 >>573 >>577
結論を先に書くんですが、
「偉大な指導者の核によって、絶対の平和が実現される社会は、最高の芸術作品である。
私は、その芸術作品を作るための表現の自由を行使しているに過ぎない」
私は、実際に今日言われました。
結局、自分たちのやる事は「表現の自由」として、全て肯定し、反対する者のやる事の全てを「ヘイトスピーチ」として否定する。
そのダブルスタンダードの頂点に達した物が、愛知のトリエンナーレだったんだと認識しています。
明らかに頂点に達してる事は間違いありません。
しかしながら、頂点に「まだ」達していないと認識しているから、トリエンナーレを擁護してるんですよ、あの人たちは。
端的に言うと「北朝鮮の核ミサイルで廃墟となった日本という芸術作品」を作る事を目的からすれば、トリエンナーレなんて、
まだ通過点に過ぎないと認識してるんです。
だから擁護してるんです。
もっと上を目指さなければならない。
日本の滅亡という完成形のために。
試しに、金正恩書記の顔写真を焼いたり、文在寅大統領の口にハイヒールをぶち込んで、「これは芸術作品です」なんて
言っても、決して、その人達は認める事はありません。
「これはヘイトである」
もし逆なら、天皇陛下の肖像を焼いても芸術だという人達ですから、
「安倍にガソリンで火をつけるぞ」
などという下劣極まる物であっても表現の自由に過ぎないって言うんじゃないかと思ってます。