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日ソ共同宣言60年 2島譲渡「軍事面を考慮」
毎日新聞2016年10月18日 21時27分(最終更新 10月18日 22時03分)
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フルシチョフは53年3月の独裁者スターリンの死後、徐々に権力を掌握し「平和共存外交」を打ち出した。セルゲイ氏は父と共に回顧録をまとめ、業績や思考を熟知する。
「米ソ間の核戦争を避けようと平和共存路線を進め、西ドイツ、日本など旧敵との交渉にも取り組んだ。対米従属を弱められる可能性があると考えていた」と語った。
日ソ交渉は55年6月に始まった。ソ連側は「領土問題は解決済み」と主張していたが、8月に突如「歯舞、色丹2島の引き渡しは可能」と提案。
最終的に当時の鳩山一郎首相が調印した共同宣言にも「平和条約締結後に2島を日本へ引き渡す」と規定された。
2島に関するソ連首脳部の決定について、セルゲイ氏は「クリル諸島(北方四島を含む千島列島)は大戦の結果としてソ連領となり、オホーツク海への出入りを管理する国防上の観点から重要だった。
だが、歯舞と色丹はこの(防衛)ラインに位置していないため、ソ連側は日本に贈与する用意があった」と語る。譲歩の裏に冷徹な安保上の判断があったとの指摘だ。