15/03/20 21:58:13.05 jCY4JHER.net
土橋勇逸(のちの参本第二部長、支那派遣軍総参謀副長)中佐は、
当時「国際連盟臨時総会帝国代表部随員」としてジュネーブに送り込まれていた人だが、
松岡洋右の様子を次のように語ってる。
「事志と違って日本に帰っても顔向けできまい。
ままよ、しばらくアメリカに姿をくらましてホトボリが冷めるのを待とうと決心した松岡さんは、アメリカヘ行く孤影悄然たりである。
行って日本の情況を眺めた。そして驚いたり、自分の耳を疑ったりした。
内地では42対1を誇らしげに口にし、脱退した松岡を礼讃し、まさに英雄に祭り上げている。
狐にツママれたというのはこの事であろう―」
松岡が「みんな狂っている」と一人ごちたのは、この時だろう。