17/07/29 21:43:43.18 dhqsW5yD0.net
ふむふむ
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戦時中のお米のことを少々。
終戦直後にまとめられた海軍軍備関係史料の中にある「食糧戦備実施経過」より。
まずは対米開戦直後の国内米事情を。
国内需要が約7500万石ほどですが、国内生産は6000万石前後になるので、
需要の2割、1500万石の輸入が必要でした。もともと脆弱であったといえますね。
昭和17米穀年度(昭和16年11月~昭和17年10月)は、
米の大生産地を進駐・占領していったので、
それら泰、仏印、ビルマより900万石弱を得ています。
しかし、肝心の国内は不作だったそうで、さらには国内需要も開戦により増加します。
その不足分は前年度からの繰越米でまかないました。
前年度からの繰越米は約700万石でしたが、そのうち約500万石を食いつぶします。
1年目から余力がほぼ無くなりましたが、
米の世界的にも大生産地ともいえる地域を押さえていたため、
危機感はほとんど無かったと記されています。
ちなみに、この年度の海軍に対する米の割当は約60万石になります
18米穀年度は、国内米は豊作となり、外地からの輸入も500万石に減ったものの続けられ、
朝鮮米300万石も入手できました。
このため、翌年度への繰越米をやや増やすことができています。
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とまあ、なんとか形を保っていたのはここまで。
暗黒の昭和19米穀年度がやってきます。
この年度は国内米の生産自体は引き続き豊作で作柄も良かったそうです。
じゃあ、何が問題になったのか。
大きな問題としては海上輸送の破綻と軍への供給ですね。
海上輸送の破綻に伴い、外米の輸入がほぼ途絶えます。
前年の500万石が無くなるわけです。
輸送船の行き来がまったくなくなるわけではないですが、
南方からはボーキサイトなどの物資が優先されるなどがあったのでしょう。
また、外米は内地ではなく戦地への輸送があったそうです。
また、急拡大した軍隊は当然お米を多く消費するわけで、
海軍はこの年度約170万石(16年の約3倍)消費しています。
この年の陸軍は約400万石とのこと。
昭和19年7月のマリアナ諸島を失陥、
日本の食糧事情は急激に悪化していった、とあります。