16/11/18 02:21:50.79 jv/b27HQ0.net
>>240
> 特定の意図を持った上で、複数の意味に解釈することができる文章を書くのは問題ないんだゆ
「霞ヶ関文学」はまさにそれが“問題”なんやw
分っとる思うが念のためゆうと、
>>236はんも言わはる通り、文学作品の多義性は
文(センテンス)自体の多義性とはそないに関係あらへんで。
広告キャッチやらは文自体の多義性は重要や。
特許明細書もゆうのは困ったもんやけどなw
「汚い熊夏先生の おちんぽ」
「汚い 熊夏先生のおちんぽ」
「最後の水着 写真集」
「最後の 水着写真集」
平田裕香はんの「最後の水着写真集」は“騙されて”買うた人がぎょうさんおったで。
もちろん、その後もDVDやムックや雑誌グラビアで何度も水着になっとる。
意図した通りや。
買うた方も嘘やあらへんさかいJAROに訴えることもでけんのや。