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■反日の民主党のF・D・ルーズベルト大統領は日本へ18発もの原爆投下を承認していた。
ルーズベルトの後継者である民主党のトルーマン大統領が日本へ計十八発もの原爆投下を承認していた
事実はワシントン.ポスト紙にスクープされているが、この決定を最初に下したのもルーズベルトである。
小心かつ実務経験に乏しかったトルーマンは、ルーズベルトが決定していた方針に一切手を加えずに
単にそのまま実行したのだ。
ちなみに京都が空襲から除外されたのは「文化財の保護」なんかではなく、原爆投下の第一侯補地であった
為に、破壊カデータを正確に取るために温存されたにすぎない。この原爆の日本への使用については、後に
共和党大統領となるアイゼンハワーなどが猛反対しており、共和党支持者の米陸海軍の将軍たち(マッカー
サーも含む)は全員が反対意見を具申している。
アイゼンハワーに至ってはスチムソン陸軍長官に対し「米国が世界で最初にそんなにも恐ろしく破壊的な
新兵器を使用する国になるのを、私は見たくない」(一九六三年の回想録)と何度も激しく抗議していた。
こうしてかねてより共和党の大物の面々が日本への原爆使用に反対していたこともあって、トルーマンは
投下決定を共和党側には伏せたまま、一九四五年七月に先にスターリンに知らせた。共和党や共和党系
と見なされていた将軍たちに原爆投下決定が伝えられたのは投下の二日前であり、これは「反対を怖れる
あまり自国の議員よりも先にソ連に知らせた」と共和党側をさらに激怒させた。
原爆投下についても米国の総意ではなく、賛否両論の二つの考え方がこの両党間で対立していたのだ。
つまり、もし当時の大統領がトルーマンではなく共和党の大統領であったなら、おそらく原爆投下もなかっ
たであろうということである。
アイゼンハワーは、大統領在任中の一九五五年一月にルーズベルトを強く批判して「私は非常に大きな
間違いをしたある大統領の名前を挙げることができる」と述べ、ルーズベルトが対日謀略を重ねて日米開戦
を導いたこと、日本へ不必要な原爆投下の決定を行ったこと、ヤルタ協定で東欧をソ連に売りとばしたこと
などを挙げて非難している。