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★福島を忘れていないか 都知事選 ネオン輝く東京に違和感
「東京は福島を忘れていないか」。
東京電力福島第一原発で作業に当たる三十代の男性は、
東京都知事選で原発の是非を問う議論がどこまで深まるか、耳を澄ませている。
東京の電気をつくっていた原発の事故。男性は都内の有権者だ。「一日も早く収束させたい」。
一票は子どもたちの未来の安心のために、と決めた。 (片山夏子)
建設系の技術者で、東京で生まれ育った。事故前に原発で働いたことはなかった。
次々に起きた原子炉建屋の水素爆発に衝撃を受けた。「日本に住めなくなるのではないか」。
必死に原子炉などの冷却作業をする人たちの姿をニュースで見て心を揺さぶられた。
「自分も何か貢献したい」。会社で技術者の募集が掛かり、迷わず手を上げた。
折れ曲がった鉄骨、がれきだらけの敷地-。事故から間もない福島第一はめちゃくちゃだった。
高線量の場所が点在し、建屋周りでは作業が数分間隔で区切られ、人海戦術で進められていた。
「不安と緊張で震えながら作業する人もいた」。敷地を離れると緊張が解け、どっと疲れた。
昨春、帰京した。被ばく線量が所属会社の定めた限度に近づき、福島第一で働けなくなったからだ。
東京で感じたのは「強い違和感」だった。「事故直後の節電は忘れられ、夜もネオンが輝いていた」。
家庭や職場でも原発や福島の話題が出ない。現場の話をしてもうまく伝わらず、いらいらして家族ともめることもあった。
「なぜ福島にもっと関心を持たないのか」。
たびたび汚染水漏れを起こし、事故収束にはほど遠い福島第一の現状も「東京には遠い出来事なんだ」と感じた。
二〇二〇年五輪の開催が東京に決まった時も違和感が残った。「反対はしないが、その前にすることがあるのではないか」
今では福島を故郷のように感じている。福島第一や作業仲間、住民のことは頭から離れなかった。
数カ月ぶりに戻った現場は、ベテランが減り、寄せ集めの作業班はまとまりがなかった。
敷地全体の放射線量は下がったが、溶けた核燃料の状態は分からず、廃炉のめども立たない。
「東京が住みやすくなるように」。幼い子どもがいる男性の都知事選への思いは明確だ。
しかし、候補者の訴えはいまひとつ心に響いてこない。
「原発もパフォーマンスに使われているだけなのでは」。そんな疑念もぬぐえない。
東京から二百キロ余り。福島第一では、今も一日三千人以上が事故収束のために働いている。
「事故からまだ三年もたっていない。大勢の人が避難したままだ。
原発をどうしていくのか、福島のために何ができるのか、真剣に考えてほしい」
東京新聞 URLリンク(www.tokyo-np.co.jp)