13/06/26 21:21:33.37
ソース(マガジン9、「雨宮処凛がゆく!」)
URLリンク(www.magazine9.jp)
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23日の都議選で、自民党が全勝した。59人全員が当選である。
参院選を前にして、なんとも危機感が深まる状況だ。それ以外にも、「危機感」を募らせる要素はこの国に満ちている。
憲法改正。生活保護切り下げに代表されるような、弱者を切り捨てる政策。原発の再稼働。高い安倍内閣支持率。そして、
ヘイトスピーチ。
しかし、その「危機感」が多くの人と共有されているかと言えば、決してそうではない。何か、今の状況に対して危機感を
持つ層と、まったくそうでない層が二極化している気がするのだ。
何百年か、それ以上に先の核廃棄物処理よりも、目先の経済。というか明日の生活。多くの人が弱者への優しい目線などを
持つ余裕もなく、日々、仕事と生活に追われている。生活保護バッシングも続いている。そんな状況の中で、この危機感を
どうやって伝えたらいいのだろう。
そんなことを思っている時、遅ればせながら読んだのが安田浩一さんの『ネットと愛国 在特会の「闇」を追いかけて』
(講談社)だ。
在特会とは、言わずと知れた「在日特権を許さない市民の会」。本書はそのルポルタージュである。
読みながら、なんだか気が遠くなる思いがした。彼らが街頭で発する差別的な言葉に、読み進めるのが辛くなった。しかし、
一人の人間として話す彼らの言葉が、時に非常に理解できたことも衝撃だった。何度も何度も、自分が右翼団体に入る前の、
あのどうにもならないほどの苛立ちの日々を思い出した。
当時の私は、何もかもがうまくいっていなかった。
高校を出て美大に行こうとしたのに大学は2浪するし。
学校では「頑張れば報われるのだ。だからどんなに辛いことがあっても歯を食いしばって耐えろ」と言われ続けて
いじめにも耐え、受験戦争を戦ってきたのに自分が社会に出る頃には「バブル崩壊で今までの神話は全部嘘になりました」
と梯子を外されるし。
進学を諦めてアルバイトを始めれば、そのフリーター生活からの出口どころか、「社会」への入り口もきっちりとガードされてるし。
メディアでは「夢見る使い捨て労働力」なんていうものすごい侮蔑語で馬鹿にされてるし。
挙げ句の果てにはバイト先で「日本人は時給が高くて使い物にならないから、時給が安くて働き者の韓国人と取り替えたい」
とか堂々と宣言されるし。
いつの間にか、私は国内にいながら国際的な最低賃金競争の最底辺にいた。自分が最底辺だという自覚は、確実にあった。
それなのに、みんな「甘えている」「怠けている」「働く気がない」などと罵倒するのだ。低賃金でいつクビになるのかも
わからない中、誰かがしなければならない単純労働を担っている私を全否定するのだ。
どこにも居場所がないし、誰も認めてくれないし、誰も必要としてくれないし、どこにも帰属する先がない私は、「日本人である」
ということにしかすがる場所がなかった。そして「国家」しか、帰属する先がなかった。
そんな時の気分を、まざまざと思い出した。
『ネットと愛国』には、在特会メンバーのこんな言葉が登場する。
「我々は一種の階級闘争を闘っているんですよ。我々の主張は特権批判であり、そしてエリート批判なんです」
私が右翼にいた頃、「階級闘争」なんて言葉は知らなかった。だけど、確かに、そんな意識はどこかにあったように思う。ただ、
大きな違いは、当時私のいた団体にとっての最大の「敵」はアメリカであり、在日コリアンの人々や中国、韓国が敵だという発想は
なかったということだ。
(>>2以降に続く)