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夏目漱石「韓満所感」(抜粋)
2013.1.7 14:10
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「満洲日日新聞」明治42年11月5日掲載の夏目漱石の随筆「韓満所感(上)」(新潮社提供)
■夏目漱石「韓満所感」(抜粋)
「昨夜久し振りに寸(すん)閑(かん)を偸(ぬす)んで満洲日日へ何か消息を書かうと思ひ立つて、
筆を執りながら二三行認(したた)め出すと、伊藤公が哈(は)爾(る)浜(ぴん)で狙撃されたと
云ふ号外が来た。哈爾浜は余がつい先達て見物(けぶ)に行つた所で、公の狙撃されたと云ふプラツト
フオームは、現に一ケ月前(ぜん)に余の靴の裏を押し付けた所だから、希有(けう)の
兇(きょう)変(へん)と云ふ事実以外に、場所の連想からくる強い刺激を頭に受けた」
「満韓を経過して第一に得た楽天観は在外の日本人がみな元気よく働いてゐると云ふ事であつた」
「歴遊の際もう一つ感じた事は、余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た事である。内地に
跼(きょく)蹐(せき)してゐる間は、日本人程(ほど)憐(あわ)れな国民は世界中にたんと
あるまいといふ考に始終圧迫されてならなかつたが、満洲から朝鮮へ渡つて、わが同胞が文明事業の
各方面に活躍して大いに優越者となつてゐる状態を目撃して、日本人も甚だ頼(たの)母(も)しい
人種だとの印象を深く頭の中に刻みつけられた
同時に、余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた。彼等を眼前に置いて勝者の
意気込を以て事に当るわが同胞は、真に運命の寵(ちょう)児(じ)と云はねばならぬ」(※原文の
旧字体は新字体に変更し、ふりがなは一部にとどめた)
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