13/01/05 19:46:50.16
(>>1の続き)
ーーただ、長期連載が予定されていた中、1回目の記事だけで、佐野さんや週刊朝日が持っている部落問題に対する認識の
甘さや偏見は理解できるものなのでしょうか。「連載打ち切りの判断は早すぎた」という声もありました。
組坂 佐野さんの連載の一番の問題は、部落問題の土台を理解していないことだったんです。部落問題と、橋下市長の父親が
暴力団員だったことや、従兄弟が金属バット殺人を起こしたことなどを結びつけて、そこには部落出身のDNAが存在するかの
ような表現を平然とする。被差別部落出身者が差別と迫害と貧困という中で十分な教育を受けられずに、まともな仕事に就けない
という状況下で、彼らは反社会的な集団に身を寄せるしかなかったという歴史的事実があるのです。それを戦前からの全国水平社
の運動、戦後の部落解放運動を通して、多くの先人がまさに命を掛けて、状況を改善してきた。そんな歴史を無視して、佐野さん
の連載では橋下市長のルーツを被差別部落に求めようとしていた。
では、橋下市長のお父さんが暴力団に入ったことについて、なぜそうなったか、誰がそのように追い込んだのかという被差別
部落の歴史性・社会性について深く掘り下げているかといえば、まったくしていない。前提として、差別的な認識があるからです。
抗議文には具体的に書きましたが、そうした差別的な認識は、記事中の表現の端々から伝わってきました。例えば、被差別部落
の具体的地名まで出して、現在そこに住んでいる人たちはどうなるんだ、と。もし、その土地出身の人間と、自分の子どもが結婚
しようとしているという親なら、あの記事を見せますよ。「週刊朝日と佐野眞一という、それなりに名の通った媒体とルポライターが
書いている通り、同和地区の連中はこんなに恐ろしいんだぞ」と。彼らが意図していなくても、そういう差別を助長する参考資料と
して使われる恐れがあります。
佐野さんや週刊朝日編集部がそういった想像力が働かない中で、あの連載が継続されていたかと思うと、とても恐ろしい。
「連載中止の判断は早すぎたのではないか?」という指摘もあるようですが、間違った土台の上で展開していては、何回続けても
同じです。即時連載中止は妥当な判断でした。
ーー我々も自戒を込めて考えなければいけませんが、被差別部落問題をしっかり勉強し、そこまで想像力を働かせられる
メディア人は多くないと思います。
組坂 今回のような問題が起こると、部落問題自体をマスコミで扱うことがさらにタブー化してしまうという懸念が強まります。
しかし、しっかり学んだ上で、部落問題を論じたり、報じたりすることは結構なこと。ところが、それができないマスコミが多いので、
我々は彼らに糾弾や学習会を通して、しっかり学んでほしいと厳しく訴えてきた。すると、「解放同盟は怖い」と、まるで圧力団体か
のような扱いを受ける(苦笑)。それもあるので、最近は少し柔軟な姿勢をとってきましが、そうした期間が続くと、今回のような
記事が出てくる。痛し痒しですが、これはマスコミ自身の問題として、どうあるべきかをもう一度しっかり考えてほしいですね。
第三者として週刊朝日を批判するだけなら簡単なんです。同じマスコミとして、当事者意識を持って、自分たちはどうするのかを
考えてほしい。私から言えることは、まずは「差別の現実に学ぶ」ことが重要ということです。
ーー「現実に学ぶ」とは?
組坂 差別があるという実態を、まずは客観的に知らないといけない。マスコミが集中する東京では「差別なんてもうないですよ」
という人が少なからずいます。ただ、そういう先入観で世の中を見れば、差別は目に入ってこないものなんです。
例えば、長野などにいけば、依然として「差別戒名」や「差別墓石」があります。結婚差別も存在します。つい3年ほど前には、
四国で結婚差別を受けた部落出身の青年が自殺をするという事件も起きている。全国に足を運ばなくても、インターネットを
見ていれば、いまだ差別が氾濫していることはわかるのに、そもそも差別を見ようとしないから、見えないんです。同和教育など
のおかげでずいぶんよくはなってきたが、まだまだ問題があるということをマスコミは積極的に知って、取り上げてほしいですね。
(さらに続きます)