【論説】オウンゴールが続く対中外交…わざわざ反日を助け親日を挫く石原・野田氏の“自傷行為”。だが今は国内で批判している時ではないat WILDPLUS
【論説】オウンゴールが続く対中外交…わざわざ反日を助け親日を挫く石原・野田氏の“自傷行為”。だが今は国内で批判している時ではない - 暇つぶし2ch1:結構きれいなもろきみφ ★
12/09/29 09:11:24.56
ソース(BLOGOS、山田高明氏) URLリンク(blogos.com)

 いよいよ今期末で十年間におよんだ胡錦濤・温家宝体制が終焉する。おそらく、一般の日本人的には、反日に狂騒する姿ばかりが
記憶に残り、散々な印象しかない。

 ところが、私の見解は少々異なる。実は、胡錦濤・温家宝体制は親日政権ないしは協日政権だったというのが本当のところではないか。
と言うと、「そんな馬鹿な! 嘘つけ!」という言葉が飛んできそうだ。むろん、あからさまな親日ではなかったが、少なくとも、本心では日本と
仲良くしたい、又は中国を日本のような国にしたいと考えていたのではないか。そのため、可能な限り国内の反日を抑えていたのが事実では
ないだろうか。

 まあ、怒らずに以下に目を通していただきたい。

■上海閥と苦闘し続けた胡錦濤政権の十年

 胡錦濤政権は02年の第16回共産党大会で正式に発足した。それはカリスマ鄧小平の指名だったので、江沢民もとやかく言うことは
できない。ただ、席を譲るに際して、江沢民は、胡の盟友であった同じく団派(共産党青年団出身者)の李端環を追放し、腹心の曾慶紅ら
5人を新常務委員として送り込んで、軍権は手放さなかった。これによって胡錦濤・温家宝は上海閥から完全に包囲された状態で政権の
スタートを切ることになった。

 05年3月下旬に始まった「第一次反日暴動」の唐突さについては、未だに不可解な点が多い。当時、一部の新聞などが「意固地に
靖国参拝をする小泉のせいだ」などと書き立て、中国側は「市民の自発的なもの」と嘯いていた。だが、中国には反体制闘争以外に
自発的な政治運動など存在しない。それは誰かが何らかの目的でやらせているものだ。中国が異様な反日空気に包まれ出したのは、
胡が党中央軍事委主席に選ばれた04年の頃からだ。そして全人代で国家中央軍事委主席に選出されたのが05年の3月。タイミング的
には、完全なる三権(党総書記・国家主席・中央軍事委主席)をようやく掌握した直後だった。やはり反日に名を借りて、政敵が胡錦濤を
攻撃していたというのが真相ではないだろうか。

 その胡錦濤政権が、名実共に真のガバナーとしての権威を確立したことを内外へ示す絶好のデモンストレーションとなったのが、06年9月
の陳良宇の解任劇だ。上海市党委書記にして中央政治局委員の陳は、江沢民の部下であり、上海閥の後継者だった。汚職撲滅の
大義名分を掲げ、その陳を逮捕したことで、それまで水面下で続いていた胡錦濤閥と上海閥との権力闘争に一応の決着がつき、上海閥は
「お家断絶」かと思われた。だが、上海市の後継者は団派ではなく、両派の妥協の産物とも、上海閥が担ぎ上げたとも言われる人物に
決まった。それが習近平である。

 上海閥に対して団派が優位に立った途端、中国の対日姿勢が豹変した。同じ06年9月、安倍政権が発足する。安倍総理はすぐに
中国を訪問した。中国は党の中央委員会総会初日に日本の総理を迎える形になった。これは日中関係重視の姿勢を内外に深く心象
付ける形となった。国交樹立後最悪と称された小泉時代とは打って変わり、日中関係は急速に改善へと向かう。翌年には温家宝首相が
来日し、日中は「戦略的互恵関係」の構築で一致をみた。

 中国はこの関係を通して「平和共存・代々友好・互恵協力・共同発展の目標を実現する」と謳った。これを「16字の方針」と呼ぶそうだが、
かつての胡耀邦の「四原則」の再来を思わせる。事実、中国側としては「親日派胡耀邦の再来」を印象付け、「また当時のような日中蜜月
時代を築きましょう」という意味を込めたのだろう。だが、この胡錦濤政権の並々ならぬ意気込みは、政財界のレベルはともかく、国民レベル
では完全に空振りに終わった。大半の日本人はもはや中国を信用しておらず、「ついこの前まで過激な反日だったのに、いきなり日本に
擦り寄ってきた」と気味悪がった。「日中友好熱烈歓迎」は昔日の話で、来日した温家宝首相にも非常に冷ややかな反応だった。
だが、温氏は本気だったと私は見ている。

>>2以降に続く)


レスを読む
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch