12/09/22 09:13:42.69
自民党、民主党の総裁選、代表選が喧しく報じられている。また橋下徹氏率いる維新の会も毀誉褒貶含めて世の耳目を集めている。
財政再建と消費税増税、年金や社会保障といった日本の構造問題に加えて、原発問題やTPPといったトピック、
さらには竹島・尖閣諸島問題による安全保障に関する議論までがわき起こり、2012年9月現在、
まさに日本は政治の季節真っ盛りを感じさせられる毎日である。
しかし、連日TVや新聞を賑わしている政治報道に接していて、とても不思議に感じることがある。
「わが国の民主主義政治のしくみを健全化すること」を主張する議論がまったく聞こえてこないことである。
今の日本が陥っている民主主義政治の機能不全は、消費税や年金、原発やTPPといった
個別の政策よりもずっと深刻で、国家の基盤を揺るがせる重大な問題だと私は捉えている。
09年に民主党による歴史的政権交代が実現したのは、民主党が唱えた「政治主導」、「コンクリートからヒトへ」
というスローガンや、八ッ場ダム建設の中止、子ども手当ての支給、高校無償化、整備新幹線の凍結といった
マニフェストに掲げられた政策に大多数の国民が賛同。希望を託して、圧倒的な支持を表明した結果である。
この国民の意思は明白である。したがって09年の総選挙で圧勝した民主党と選出された代議士は、
この時に掲げた国家ヴィジョンと政策の実現に全力で取り組む責任を負う。それが民主主義の最も基本のルールであり、国民との契約である。
実際のところはどうなったか。国民と契約したマニフェスト通りの政策を実現しようとしたのは
鳩山政権時代の最初の1年足らずだった。目玉公約の一つであった普天間基地移設問題には失敗したものの、
この期間には「新しい公共」という理念のもとで幾つかの公約が実現した。高校無償化が決まり、
ども手当てが導入され、八ッ場ダムに対しても凍結方針が出て、整備新幹線の延長は止まった。
しかし、日本に民主主義政治が機能していたのはここまでであった。
菅政権、そして野田政権になってから民主党が行った政治は、自らが掲げ、国民から負託された政策を次々に潰していく政治であった。
子ども手当ては児童手当という名称へ変更されて換骨奪胎された。八ッ場ダム建設の再開を決め、
整備新幹線は全線解禁になった。国民が拒否し、方針転換を強く求めた、かつての自民党政権的な政策を、国民との約束を反古にして強行してしまった。
ここでは、あえて各々の政策の是非を問うことはしない。
なぜならば、選挙によって国民の意思を反映した代議制民主主義という社会のしくみが
まったく機能しなくなってしまっている問題のほうが、個々の政策の是非と比べて圧倒的に重大かつ深刻だからである。
代議制民主主義のもとで、国家の主権者である国民が政策を選択できるほぼ唯一にして最大の意思表明の機会が選挙である。
その選挙で選ばれた代議士と政党は、選挙の際に提示した国家ヴィジョンなり、マニフェストなり、
政策なりを実現する責任を持つ。これは近代社会のインフラともいうべき「契約」である。
主権者たる国民と代議士・政党との契約が踏みにじられてしまうと、もはやそこで行われるのは民主主義政治ではない。
そこにあるのは民主主義社会ではない。このように民主主義政治の最も基本的な機能が損なわれた状態では、
総裁選や代表選で誰が何を語ろうが、どの政党がいかなるヴィジョンや政策を掲げようが、ただ空しいだけだ。
昨年の不幸な大震災以降、国家の緊急事態ということを名目に、民主主義の契約や正当な手続き・ルール、
及び主権者たる国民の意志を平気で踏みにじる傾向がどんどん強くなっていることに、私は大変な危機感を覚える。
典型は、原発問題と消費税増税である。
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