12/07/25 21:58:35.14
大飯原発の再稼働には、さすがに私も驚きました。再稼働に向けた野田首相の記者会見にも、唐突感と同時に強い違和感を
感じました。たとえ目先の再稼働が必要であるにしても、会見する以上、中長期的な「原発依存からの脱却」の道しるべをはっきりと
示すべきではなかったでしょうか。その上で、再稼働について期限を区切って許可を出すということであればまだ説得力がありますが、
今回はほとんど悩んだ形跡すら感じられませんでした。
ただ「変わらない日本」というメッセージだけが国内外に発信されてしまいました。私は去年の3月11日以降、福島を3回訪れ、
地元の人たちから「私たちのことを忘れないでほしい」という言葉を何度も繰り返し聞きました。この言葉の裏には、「日本がこれまで
とは違うものとして生まれ変わってほしい」という願いが込められていたと思います。しかし、あれからもう1年数か月がたち、今はまるで
何事もなかったかのようです。ほとんど事態が3月11日以前に戻りつつあるのではないか、という思いが強くなっています。
私が4年前、『悩む力』(集英社新書)という本を書いたときには、このような深刻な事態はまだ想定していませんでした。しかし、
悩み抜いて、そして日本が何か突き抜けた新生日本に変わってほしいという願いはありました。今回、『続・悩む力』を出すことに
なったのは、やはり3月11日以降の経験が、私にとって決定的に重要なものになったからでした。ちょうど還暦を迎えた私が、3月11日
という戦後最大の出来事と言っていい事態をどう受け止めるのか。それに対する答えを出したいという思いがありました。
3月11日を経て、私は初めて自分が、日本の中でマイノリティーではあるけれどパトリオットだ、ということを痛感しました。パトリオティズム
は愛国と愛郷の二重の意味がありますが、このパトリオットは、愛郷者という意味です。今、私たちの目の前では、愛郷者が愛国者に
捨てられ、愛郷なき愛国が夜郎自大的に跋扈しているかのように見えます。パトリオットの立場でその矛盾をどうとらえたらいいのか。
そんな思いでこの本を書いてみました。
生まれ変わることのできない政治がますます閉塞感を深め、混乱の極みにある事態を、福島をはじめ被災地の方々はどんな思いで
見ているのでしょうか。もし日本がここで変わろうとしないならば、これから10年後、福島の子どもたちはどういう思いで大人になっていくので
しょうか。そう考えると暗澹とした気持ちになります。
言語に絶する悲惨、苦痛、悲しみ、不幸などを経験して生まれ変わろうとすることを「二度生まれ」と言います。いま政治家に言いたい
ことは、「二度生まれ」のつもりで新しい政治に向かっていってもらいたい、ということです。
ソース(AERA 7/30号 76ページ 「姜尚中 愛の作法」)