12/07/16 03:22:29.83 BE:2000527283-BRZ(10001)
野田 佳彦(のだ よしひこ、1957年(昭和32年)5月20日 - )は日本の政治家。
民主党所属の衆議院議員(5期)、内閣総理大臣(第95代)、民主党代表(第9
代)。
千葉県議会議員(2期)、民主党国会対策委員長(第7・10代)、花斉会会長
(初代)、財務副大臣、財務大臣(第14代)などを歴任した。
生い立ち [編集]
千葉県船橋市出身。父は富山県の農家の6人兄弟の末っ子として生まれ、陸上
自衛隊習志野駐屯地に所属した自衛官[1][2][3]。母は千葉県の農家の11人兄
弟の末っ子だった[3]。
3歳の時、当時日本社会党委員長であった浅沼稲次郎が死亡した浅沼稲次郎暗
殺事件を知り、初めて政治家を意識した。保育園に通っていたときには、ジョ
ン・F・ケネディ暗殺が起き、政治家は命懸けの仕事なのだと幼児期には固く
信じていた[2]。
学生時代 [編集]
船橋市立薬円台小学校、船橋市立二宮中学校と進み、1976年(昭和51年)3月、
千葉県立船橋高等学校を卒業[4]。
県立船橋高校では柔道部に所属[5]。1976年(昭和51年)4月、早稲田大学政治
経済学部政治学科に現役で入学。立花隆に憧れ、ジャーナリストを志していた
[2]。在学中は新自由クラブでボランティア活動をしていた[5]。1980年(昭和
55年)3月、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業。
松下幸之助が設立したばかりの松下政経塾に第1期生として入塾した。
野田は「今でも、松下幸之助塾長との最終面接を鮮烈に覚えています。笑顔で
迎えてもらったが、目は笑っていませんでした。むしろ、射抜くような怖い目
つきでした。耳はとても大きくて、ピンと立っていました。」「『キミの身内
に政治家はおるか?』『まったくいません』『そりゃ、エエな。ところでキミ
の家は金持ちか?』『どちらかというと貧乏です』『なお、エエな』何が良か
ったのか、いまだにさっぱり分かりません。が、こうして、政経塾で5年間、
あるべき政治の姿を学ぶことになりました[2]。」と当時について回想してい
る。
1985年(昭和60年)に政経塾を卒業した[4]。
政界入り [編集]
家庭教師や都市ガスの点検員等、様々な仕事の経験を経て[6]、1987年(昭和6
2年)に千葉県議会議員選挙に千葉県内一の激戦区である船橋市から立候補し
た。選挙資金はカンパによる500万円、運動員は20代のボランティア約50人だ
けであったにもかかわらず、「金権千葉の政治風土を変えよう」「路地裏の政
治」と毎日朝夕、駅前で訴え、下馬評を覆し当選した[7]。千葉県議は2期務め
た。
(以下略)
URLリンク(ja.wikipedia.org)