12/04/29 02:29:50.17 5lB3Iioc
荒々しく部屋のドアが開く音と同時に妻の叫ぶ声がした。
「えみる!事故!えみる!」
ご近所の方が知らせに来てくれていた。「気をしっかり持って下さい!」何の事だか、意味がさっぱりわからなかった。
妻と共に事故が起きたというその横断歩道へ向かって走る僕の脳裏に浮かんだのは、手か足を折って、傷口から
流れる血を押さえながら道端にへたりこんで大泣きしているえみるの姿だった。
(かわいそうに…。痛がってるかな。「大丈夫だよ」って抱きしめてやらなくちゃ)
交差点までの距離は150メートル。100メートルほど直線道路を走り、角を曲がったとたん、現場の交差点の中に
1台の大きなトラックが止まっているのが見えた。
どうやらえみるはあのトラックにはねられたらしい。
僕は反射的にどこかで泣いているはずのえみるを探した。だが、えみるの姿はどこにもない。
誰かに教えられたのか、そのへんの記憶はあいまいなのだが、なぜだか僕は必死になってトラックの下をのぞき込んでいた。
両足が―普通では考えられない向きにへしゃげた娘の足が見えた。
トラックのタイヤがえみるの腰のあたりに乗り上げたままになっている。とにかくここから出してやらねば。
僕は思わずトラックを1人で持ち上げようとしていたが、相手は荷物を満載した3トントラックだ。当然のようにビクとも
動かなかった。
あまりにも無力な自分に、全身から力が抜け、手がプルプルと震えてきた。そんな中、僕が見たのは―、
「えみる、頑張れ、えみる」と叫びながら果敢にもエンジンがかかったままのトラックの下に潜り込んででも我が娘を
救おうとする妻の姿だった。
「エンジン早く切れよ!」「救急車、まだ呼んでないのかよ!」たくさんの人たちの尋常でない叫び声があちこちから
響いた気がした。
ジャッキを使っている時間はない。
気がつくと、20人近い人がそこに集まってきてくれて、みんなで協力して娘をトラックの下から引き出してくれた。
頭蓋骨を骨折していたので、内出血がひどく、顔は腫れ、うっすら開いた目は出血で瞳の中まで真っ赤になっていた。
医者でない僕でも娘が瀕死の重傷であることはすぐにわかった。
その光景はまさに地獄だった。
それからのことは断片的にしか記憶していないのだが、救急車に乗り込み、病院の搬入口に運び込まれていくえみるを乗せた
ストレッチャーのあとを、祈るような気持ちでついていったことだけは覚えている。きっと途中で何度も転んだのだろう。
妻と僕の身体にはたくさんのアザが出来ていた。
「えみるの赤いランドセル 亡き娘との恩愛の記」風見しんご 青志社 P25-28