12/04/06 00:19:28.89
ソース(ダイヤモンド・オンライン、「山崎元のマルチスコープ」)
URLリンク(diamond.jp)
■田中直紀氏と猫ひろし氏 立場は違えど「場違い」な2人
民主党の参議院議員である田中直紀氏は、野田内閣の防衛大臣に任命された当初から、その任務への適性に対して
疑問の声が多い。しかし、「まだ」と言っては失礼かも知れないが、辞任はしていない。
先日も国会答弁において、官僚の助言に頼り切る様子が批判の的となり、自民党が参議院において田中氏に対する
問責決議提出を準備しているとの報道があった。
沖縄の米軍基地の問題は解決の方向性が見えず、得体の知れない隣国である北朝鮮が「人工衛星」と称するミサイル様の
物体を打ち上げようとしており、また中東情勢も不穏な今日に、我が国に国防上の不測の事態が起こった場合の防衛大臣が
田中氏であることは、国民にとってかなり気持ちの悪い状況だ。
我が国は、昨年、危機管理に全く不向きな菅直人氏が首相を務めている間に、東日本大震災と福島第一原発の事故に
見舞われた。田中氏が防衛大臣である間に、防衛的緊急事態が起こらないという保証はない。
他方、お笑い芸人であり同時にマラソン・ランナーでもある猫ひろし氏(芸名)は、カンボジア国籍を取り、来るロンドン・
オリンピックにおいて、カンボジア代表としてマラソン競技に参加することが内定した。
しかし、かつて「参加することに意義がある」という言葉もあったオリンピックではあるが、猫氏のマラソン持ちタイムは、おそらく
女子マラソンの優勝タイムにも大きく遅れるであろう2時間30分台のものであり、同氏がオリンピックで上位の成績を収める
可能性は、極めて小さいと言わざるを得ない。
失礼を顧みずに言わせてもらうと、田中直紀氏は防衛大臣として、猫ひろし氏はオリンピック競技に参加する選手として、共に
「場違い」な存在である。
■田中直紀氏と猫ひろし氏の存在は、世の中のあり様に対する鋭い批評
一方、田中防衛大臣も、猫ひろし氏も、当人の存在自体が世の中のあり様に対する鋭い批評になっている。
国会を見よう。防衛政策に関わる問題や、防衛の専門事項に関して、独力では何も答えられないように見える田中防衛大臣は、
彼が大臣としての在籍日数を積み重ねるほどに、「大臣が官庁を動かしているわけではない」こと、さらに、民主党政権の言う
「政治主導」なるものが、悪い冗談に近い虚構であることを、誰よりもわかりやすく暴いている。
仮に、他の政治家が防衛大臣ならどうなのだろうか。
たとえば、あえて名前は挙げないが、兵器のスペックに詳しく防衛問題に一家言のある「あの人」ならどうなのか。防衛省の役人
とは話が通じるだろうし、兵器の性能などを含む専門的な話題にも、官僚の助力なしに国会答弁ができるだろうが、彼が独力で
防衛省なり自衛隊なりをコントロールする力があるとは思えない。
防衛大臣に限らないが、大臣に任命され、官庁に大臣として乗り込んでも、省益と切り離された立場で政策を考える独自の
スタッフを持っているわけでもないし、幹部クラスの職員を入れ替えることができる独自の人材候補群を持っているわけでもない。
ただ、外面の格好が付きやすいというのが、田中大臣と「あの人」との主な違いだろう。危機対応などは違うかも知れないが、
最も重要な部分(政治が行政を主導すること)にあって、大差はない。ただ、その違いが見えにくくなるだけだ。
ビジネスパーソン読者は、よくおわかりになると思うが、部下よりも情報に劣り、実質的に行使できる人事権を持っていないトップが
大組織をマネジメントできるはずがない。自分に近い有能なブレーンを持たず、幹部職員の交代要員を独自に持たずに、形の上で
権限だけ持っていても、たった2、3人の幹部で大組織を十分にコントロールすることなどできはしない。
結局、情報においても、判断においても、官僚にコントロールされているのが、現在の日本の閣僚、さらには政治家の実態だ。
田中防衛大臣は、この構造を多分、誰よりもわかりやすく国民に示している。
(>>2以降に続く)