12/02/28 09:52:17.88
「いつか、こんなことを思ったことがある。ダンスを踊るバレリーナ、歌を歌うオペラ歌手、私も彼らのように踊って歌を歌う。それなのに、
なぜ、私のことを人々はアイドルと呼ぶのだろうか。フィギュアスケートのキム・ヨナ選手の演技を人々は芸術だと言う。キム・ヨナ選手も
自分の種目で、音楽を表現するために努力する専門家だ。そして同じ側面で私も歌手という種目で音楽とエネルギーを表現する
ために努力する専門家である。なのになぜ、私には芸術家という称号がついてこないのだろう? オリンピックで金メダルを取ることが
できなかったからか?」―少女時代のスヨンの「私はアーティストだ」より―
今まさにK-POPを中心に世界が動いている。すべての文化コンテンツがK-POPを中心に企画されており、音楽界はもちろん、
エンターテインメント産業すべての側面でK-POPを抜いて話すことが出来ないほど、その影響力が絶大だ。外交的にもK-POPが
推進剤となって、経済、産業分野の様々な協約が締結されるなど、肯定的な影響を及ぼしていることは事実である。
アジアのファンたちにはもちろん、青色の外国人の目にも韓国の歌手が格好よく見えるらしい。過去マイケル・ジャクソンのムーン
ウォークに熱狂し、ジャッキー・チェン、ジェット・リーの派手なアクションに眠れなかった夜を過ごした時を思い出せば、現在韓国
アーティストに寄せられている高い関心が嬉しいだけだ。何より、真の韓国人の底力を見せている同時代に生きていることに重大な
責任感まで感じる。
昨年11月21日に放送されたKBS 2TV 「スター人生劇場」の少女時代編で、スヨンの問題提起を見た時、疑問を消すことが
できなかった。なぜなら、ヨーロッパ、南米など、韓国の文化がまだ不慣れな地域でコンサートを開き、彼らに感動を与えた歌手たち、
国威宣揚に成功したアイドル歌手に対する認識は「タンタラ(音楽関係の芸人に対する蔑称)」それ以上でも以下でもないからだ。
その過程がどうであれ、結果的に見て、これまで誰もできなかった文化的な成果を上げたにもにも関わらず、だ。 キム・ヨナ、パク・
チソン選手には彼らが社会に与えた貢献度を認め、尊敬の視線を送る私たちの姿を見ると、不思議な状況に違いない。
その裏面にはアイドルと芸能人とりわけ「タンタラ」に対する根強い偏見が隠されている。「タンタラ」は芸能人を侮って言う言葉で、
国語辞典にも登載されている。 以前には歌を歌って踊る人々を「タンタラ」と呼んで蔑んだ時もあった。
90年代、ファンクラブ文化を作り上げ、韓国の音楽界を主導してきたアイドルグループにも、最初は冷たい視線が共存していた。
「顔だけ良い人たち」「歌手なのに歌が下手なんて」などの言葉が付きまとった。もちろん全てが間違ってるというわけではないが、
果たして顔だけ良ければ、少し練習しただけでステージに立つことができるだろうか。
(中略)
スポーツスターだけが全てを諦め、努力しているわけではない。彼らだけが自身の人生を捧げてるわけではない。アイドル歌手も
全てのものを捨ててステージを準備する。 彼らはステージの外でも多くのことをあきらめる。
アイドル歌手と芸術家との境目はどんな基準によるものであり、どこから始まったか、気になって仕方がない。低級で目を楽しませる
ことに過ぎないパフォーマンスと、心に感動を与えて文化的な価値があるパフォーマンスの差は何であれ、誰が決めたのかさっぱり
分からない。韓国社会に以前から根強い偏見がこれからも続くなら、現在韓国が誇示している文化波及力は弱くなるだろう。
韓国の文化の伝道師を私たちが無視するこの状況が残念で仕方がない。
ソース(KStyle) URLリンク(news.kstyle.com)