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ソース(東洋経済オンライン) URLリンク(www.toyokeizai.net)
日本伝統の味、漬物。今、この漬物業界で大きな変化が起こっている。梅干し、たくあん、べったら漬けといったなじみの商品に
代わって、韓国伝統の漬物、キムチが急速に存在感を増している。
「芸能界を席巻する韓流ブームが漬物でも?」と思いきや、それほど単純ではない。キムチといえば、“辛さ”が特徴だが、
飛ぶように売れているのは“甘さ”を強調した日本独自の商品だ。
この甘いキムチを普及させたのがピックルスコーポレーション(ピックルス)。2009年10月に投入した「ご飯がススム」のヒットで
漬物業界最大手に躍り出たピックルスを、業界関係者は「漬物業界の革命児」と呼ぶ。
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■地味な漬物でヒットを 新興企業が常識へ挑戦
日本における漬物の歴史は、8世紀の記録までさかのぼる。江戸時代には市販品が出回るようになったが、本格的な産業化は
戦後に入ってから。家庭環境や家族構成の変化に加え、殺菌技術や流通システムの確立によって、漬物は、「自宅で漬けるモノ
から、買うモノ」になった。
だが近年、漬物業界は衰退の一途をたどってきた。市場規模は、00年の5000億円台から08年には4000億円弱へと縮小
(グラフ)。購買層は65歳以上が圧倒的で、古臭いイメージをぬぐえない。季節ごとに新商品を連発する食品業界にあって、
新商品の発売が少なく、売り場は定番品が並ぶ“地味な”場所だった。「働く人の多くも内向的な安定志向」と指摘する人は
漬物メーカー社員や流通関係者に少なくない。
グラフ=2000年以降、漬け物市場は4分の3に縮小
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そんな業界に新風を吹き込んだピックルスは、「きゅうりのキューちゃん」で知られる東海漬物の子会社として1977年に創業した
新興勢力だ。荻野芳朗社長をはじめ、経営陣は東海漬物の出身者が多い。今でも東海漬物が同社株式の49・9%を保有
しているが、ピックルスの取引に占める東海漬物の比率は2%とビジネスではほぼ独立している。01年には漬物会社として初めて
株式上場を果たした(現在も唯一)。
ピックルスにとって東海漬物以上に関係が深いのは、セブン&アイ・ホールディングス(以下、セブン)。もともと自社ブランド商品を
持たず、セブン向けを中心に浅漬け、キムチなどのPB(プライベートブランド)商品を受託製造してきた。一時は売上高の60%
以上がセブン向けPBだったため、上場を機にNB商品開発に本腰を入れ始めた。
漬物業界は地域ごとに売れ筋が違っており、全国規模で売れる商品は少ない。「きゅうりのキューちゃん」のようなロングセラー
商品があるにはあるが、短期間で新商品が爆発的なヒットとなる可能性は極めて低いというのが業界の常識だった。ピックルスは
この常識に挑んだ。
07年に、それまで社内になかった企画開発部門「開発室企画開発課」を設立。メンバーには、漬物を知り尽くしたベテラン
ではなく、漬物に“疎い”女性の若手社員を抜擢。荻野社長の命令は「品目はキムチ。それ以外は自由」。地域ごとに好みが
異なる浅漬けより、日本人の好みが確立されていないキムチのほうがヒットを生みやすいと考えたからだ。
開発室企画開発課に抜擢された高橋真理子係長は、子どもを持つ母親の目線で、「主婦層が家族に食べさせたいキムチ」
というコンセプトを打ち出した。肝心の味は、「キムチは辛い」という基本概念を捨てた。「自分自身も漬物を好んで食べては
いなかった分、子どもや若い女性にウケる味を追求した」(味の開発担当の谷千安希氏)。日本人の嗜好に合わせて甘みやうま味
を際立たせるオリジナルの味を開発した。
(>>2以降に続く)