11/12/23 12:44:45.37
Tumblrを眺めていたら、なんとも考えさせられるメッセージが飛び込んできたのでご紹介。
アメリカの脚本家・ブロガー、Diablo Codyさんのソーシャルメディアに対する意見でした。
Tumblrで多くの反響を得ていたその画像が以下。
画像:
URLリンク(1.bp.blogspot.com)
ここに記載されているメッセージを簡単に訳すと、
- 私は過去にとらわれ、とても自己陶酔的な世代の1人であるように感じる。
- 私たちは自分自身の写真を撮ってFacebookに投稿し、15年前に離れておくべきだった人々と関わりを
もってしまっている。
- 誰が既に結婚しているのか、子供がいるのか、より成功しているのかといったことにとらわれてしまっている。
- ソーシャルメディアを使って毎日やっているのはまるで高校時代にやっていたことの繰り返しのよう。とっても
おかしく思えるのです。
といった感じ。
僕自身、ソーシャルメディアを毎日莫大な時間使っている身であり、確かに共感する部分がないとはいえません。
Diablo Codyは30代の女性である一方、僕は20代であり、周りに結婚している人や子供がいる人、明確な成功を
収めている人というのが存在しているような状況にないことを差し引いても、様々な情報がオープンに可視化される
ソーシャルメディア上で自分をよく見せようとしたり、他人を羨んだりするということには多分に心当たりがあります。
(自分自身も含めて。)
僕自身も総論としては、情報がオープンにやり取りされることは素晴らしいと思っていますが、それに伴う総監視化、
競争性や排他性から離れたいと思う部分も強くあります。
そんなものに縛られない方が楽な面も多くあることは間違いありません。
事実、スタンフォードで出会った学生の中には、LinkedInはアクティブであるもののFacebookにはほとんどアクセス
しない人もおり、インターネットという強力な存在をうまくコントロールしている様に非常に驚かされました。
もちろん、ソーシャルメディアはツールでしかないので、問題なのは使う側なのですが、使う側にいるつもりが
いつのまにか使われる側になってしまうという事態は避けておきたいところ。
特に最近、”Big data”などのバズワードとともに情報発信のハードルが下がり、より多くインターネット上に蓄積して
いくことを過剰に礼賛する風潮があるように思うのですが、それが果たして人のあり方として正しいことなのか、今一度
立ち止まって考えたいものです。
そんな当たり前の自覚を呼び起こしてくれたメッセージでした。
僕自身も現時点では全く知識がないのですが、メディア論などの勉強をしたいと思った次第。
(以下割愛)
ソース:BLOGOS(2011年12月21日 08:32)
URLリンク(blogos.com)
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