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■■■ 日本人の困窮を尻目に闇市でのしあがる三国人 ■■■
■■■ 警察権を無視した三国人 ■■■
「白い手黄色い手」1956年毎日新聞社(「韓国のイメージ」鄭大均 より)
「もう日本人じゃない」
日本降伏の直後、マッカーサー元帥が厚木に乗りこんでくると、まっ先にこう叫び出したのは
在日六十万の朝鮮人だった。
彼らの多くは戦前出かせぎのため日本に渡ってきたか、あるいは戦時中軍部の徴用で連れてこられたもので、
内地における生活がみじめだっただけに この強気が一度に爆発した。
彼らは敗戦国にのりこんできた戦勝の異国人と同じように、混乱につけこんでわが物顔に振舞いはじめた。
米でも衣料でも砂糖でもモノが不足していた時代に 彼らは経済統制など素知らぬ顔でフルに"モノ"を動かした。
当時絶対に手に入らなかった純綿のハダ着や雑貨、菓子類、ウィスキー、外国の医薬品など
彼らのヤミ市では簡単に買うことができた。ヒロポンや密造酒が集散されたのも主として そこだった。
ゴミゴミしたマーケットから金持が続々と生れていった。
完全な無警察状態……。
そのいい例が昭和二十四年春、東京深川でおこった枝川町事件である。
朝鮮人四人組が月島の織物問屋から純綿八十二反を盗み出して巨利をせしめた。
犯人の身もとがわかり、深川署の刑事ふたりが逮捕状をもって……出かけたところ、
……逆に”不審尋問”され、袋だたきの目にあった。
当時の朝鮮人の鼻息がどんなにすさまじかったか、容易に想像できる。
”見まい、聞くまい、振りむくまい”
深川署の刑事たちはそんな言葉で自分たちの無力を嘆じあったという。
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