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「ウィスキーが、お好きでしょ」を作詞した田口俊さんの書いた「思い通りに作詞が出来る本」に
作詞は自分の気持ちを書いてはいけない、曲を聴くターゲットとなる人の気持ちを書くのだ
歌詞はメロディーをリスナーに伝えるための媒体となるものだ
といった感じの記述があります。
でも、作詞する人がまさしく聴くターゲットと同じ立場であれば自分の気持ち書いてもいいんじゃないか、というのが
ボーカロイドで作った曲のひとつの魅力を作ったんじゃないか、と思っています。
watさんの発言からもそれはうかがえて。
クリプトン・フューチャー・メディアに聞く(3):初音ミクが開く“創造の扉” (1/2) - ITmedia ニュース
URLリンク(www.itmedia.co.jp)
>「有名人ではなく、地下鉄で隣に座っているような人が、自分の恋愛など柔らかい部分をストーリーにつむいでいて、
>すごくリアリティがある。プロが『うまくもうけよう』とか『次のシングルはこうしないと』と意図するような世界とは
>関係なく生み出される、プリミティブなものを感じる」(佐々木さん)
そんな話は2008年で終わっている、と思う人もいるかもしれませんが、
2011年12月投稿楽曲にこんなのがあります。
【初音ミクAppend】 わたしがボカロを始めた理由 【オリジナル】
URLリンク(www.nicovideo.jp)
この曲にこんな一節があります。
>幾千の歌の海 そのなかに あなたへの歌が たった一つ
>届け 届け あなたのもとへ 小さな奇跡よ 起これ
楽曲のテーマが特殊なものであり、再生数1000にも届かない、ということで
こういう言葉に共感できる人は少ないのかな?とは思いますが
個人的にはとても響きます。テーマが特殊とはいえ、とても普遍的な感情を歌っていると感じます。
このスレッドでは・・今のボーカロイド作曲関連には
「プロが『うまくもうけよう』とか『次のシングルはこうしないと』と意図するような世界しかない」ような意見も見かけますが
本当にそうだろうか、という疑問を感じるのです。