12/04/01 15:34:08.45 JiBtxAgD0
【火病鮮人】米国の桜祭りに憤慨。桜とは韓国の花なのに、どうして日本だけもてはやされるのか?
■この時期、米国は日本の桜祭りに熱狂する。悔しく羨ましくて癇癪が爆発する。
米国ワシントンDCの中心街でも毎年4月に王桜祭り(Cherry blossom festival)が開かれる。その
上、中間テストに備える私たちと違い米国の学生たちの春休みと一致するので家族単位の観光
客らが集まって人だかりを成すのだから米国の人々にも桜の花は格別なのだろう。
ワシントンDCで行われる桜の花祭りは我が国とも関係がある。祭りの中心になる木がすなわち
王桜だからだ。コベルの<韓国文化探求>でこの木の歴史をよく説明している。1912年、日本の明
治政府は米国と親善を図るとして米国ワシントンDCに数千株の桜をプレゼントした。
日本の荒川の川辺で収集したこの桜は米国に着いてまもなく虫害で全滅した。何年か後、日本の
東京市では死んだ桜の代わりに新しい品種の桜をまた送ったが、その木々の母木がつまり我が
国済州道(チェジュド)産の王桜の木であった。これは最近の様々な植物分類学者の研究で確認
された事実だ。
ワシントンDCの王桜がサクラと呼ばれる「苦々しさ」
いつか誰かに米国でも毎年、桜の花祭りが開かれると聞いたがそのまま聞き流してしまった。とこ
ろが<突き出た土地広い土地の草木>の著者は「芸は熊が演じ、お金は中国人が儲けるということ
わざのように、私たちのものに対する主体を明確にできず、私の名前を失うことになったのだ」と
苦々しさを出し、それについて詳しく書かれているので少し格別に読んだ。
日本が米国に親善の証として送った済州道産王桜が並ぶワシントンDC周辺のポトマック川辺の
道はそうして一時「日本桜通り」と呼ばれる。だが「東洋桜通り」に変わることになる。李承晩(イ・ス
ンマン)元大統領が米国に留学した1920年代中盤に私たちの桜の花とか「韓国桜通り」に変える
よう米国政府に公式に提案したことを後日、米国政府が受け入れたのだ。
米国のこういう措置に日本は憤慨する。そうして有名な植物学者などを動員して王桜自生地を捜
し出し自分たちの桜の花であることを証明しようと日本全地域をかき回す。しかし失敗した。それ
なのに、ワシントンDCの私たちの王桜が日本桜の花の「サクラ」と呼ばれているのだから苦々し
いとしか言えない。(中略)
<突き出た土地広い土地の草木>は十数年の間、学生と一般人に植物関連の講義などをしてきた
一人の植物分類学者が「私たちが知っているべき私たちの土地の草と木100種類」を整理したも
のだ。
URLリンク(www.ohmynews.com)