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日本の提出した人種差別撤廃法案
第一次大戦後、戦後処理を行った「パリ講和会議」(1919年1月18日開会)にお
いて、アメリカ全権であったウイルソン大統領は、世界秩序回復の為の、14か条を
提唱した。しかし、この会議には、実は日本の代表団が提出した、「15番目の提
案」があった。それは、「国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべ
き事」と言う提案であった。法案提出の事情には、当時、唯一有色人種の国家と
して、先進国の仲間入りをしつつあった日本が、人種的偏見によって不当に扱われ
るのを避ける狙いもあったであろう。しかし、1919年当時としては、「人種差別を撤
廃する」と言うのは非常に画期的な主張であったと思われる。事実、当時アメリカで
人種差別と闘っていた、「全米黒人新聞協会」は、「我々黒人は、講和会議の席上
で、人種問題について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うもので
ある」、「全米1200万の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」とコメ
ントしている。アメリカのウイルソン大統領は、理想的人道主義者のように言われて
いるが、自分の国内の事情もあり(注)、この法案の投票結果が17対11で賛成多
数となると、突如、このような重要法案は、「全会一致でなければならない」として、
「不採決」を宣言し、日本の提出した「人種差別撤廃法案」を葬り去ってしまった。
当時、日本が取った行動と、アメリカがそれを葬り去った現実を比べてみると、
一概に「日本が人種差別主義で、アメリカが人権の擁護者」と決め付けて良いのだ
ろうか?白人植民地主義国の味方をしたのは華僑移民である!最近では東南アジアで反日歴史教科書が増えているのは、華僑移民が増えたからである。
日本軍はアジアで聖戦を戦ったのだ。