11/11/21 09:22:43.96
兵力では圧倒的に多い清(欧米から「眠れる獅子」と恐れられていた)に日本は連戦連勝見事にあっけなく朝鮮の宗主国 清を打ちのめした。
1895年4月に日清講和条約(下関条約)が締結された。
下関条約
・清国は朝鮮の独立を認める。
・遼東半島、台湾、澎湖島を日本へ割譲する。
(注:遼東半島は、後に三国干渉により放棄させられる。)
・2億両(テール)の賠償金を日本へ支払う。
・日本人は各開市場・開港場において、製造業に従事できる。
・片務的最恵国待遇を日本に与える。
日本に独立させてもらった朝鮮は国名が李氏朝鮮から大韓帝国にかわった。
独立して迎恩門が壊され独立門が作られた。だが、朝鮮の独立国と
しての行動はそれまでとなった大国ロシアの圧力により
日本には三国干渉を迫られ (遼東半島を清に返すこと)
三国干渉→大国ロシアとフランス・イギリスによるアジア蔑視の当時だからできた
常識外れの恫喝的内政干渉日本がそれに屈することをみるや否や
今度はロシアに事大しロシアの属国になろうとした。
高宗(国王)の妃閔妃らは大国ロシアに接近して
( 韓国政府をロシア公使館内に置くという事大っぷり!)
日本を牽制しようとし、親日派を追放した(1895.7)。