10/11/25 17:14:03 TuKPbueA
「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの
耳元にささやいた。
「ぼく、、、幸せ、、」
歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」
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去年1998年3月、日本文学界を衝撃に包み、総ての「三島論」を木っ端微塵に
吹き飛ばしたと言われる、福島次郎の『三島由紀夫、剣と寒紅』80頁の記述である。
「、、私は、頭に灰かぐらをかぶったまま、キスを続けた。私の体よりもずっと小さく細い、
三島さんの体は腰が抜けそうに、私の両腕の中で、柔らかくぐにゃぐにゃになっていた。、」
福島次郎と三島由紀夫が出会っておよそ一ヶ月後のことだった。
貧しい学生だった福島はその時の自分を冷静にこう例えて書いている。
「、辺鄙な村の貧しい作男が、都にそびえる名城の若殿のお目に触れ、
最も身近に添うお気に入りの家臣として、突然召し抱えられた心地、、、」
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その時すでに三島由紀夫は華々しいスターだった。
三島の最高傑作『仮面の告白』を熊本の書店で福島が手に取ったのは
昭和25年20歳の時である。
福島次郎も若く、三島由紀夫も若く、そして時代も若かった。
1970年・昭和45年11月25日、
三島由紀夫は最初から森田必勝と一緒に死ぬことだけを考えていたのではなかったか?
三島と家族は連日右翼の脅迫を受け続け、警察は24時間警護を付ける。
「三島は怯えて、震え上がっていました。」
中央公論に掲載された深沢七郎『風流夢譚』は今の日本では読むことが出来ない。