09/11/17 00:32:02 mJN2Kl/H
民主主義は君主制よりはましな制度であるにすぎない。
多くの大衆は無知無能であり政策評価もままならないどころか
自分の生活の行く末を左右するその政策の意味を理解する努力すらしない。
かつて哲人が唱えたようにそのような無知無能な大衆にこびる政治は
必然的に衆愚政治に陥り混乱をきたし、事態収拾に強いリーダーシップを求める
大衆の心理は悪辣な独裁者を生み出す危険性を多分に孕んでいる。
では始めから優れた人格、知的能力を備えた哲人、賢人による独裁性にすればうまく行くか?
まずその施政を誰が監視、評価するのかという問題がある。
監視、評価機能を持たない政治は必ず堕落し腐敗する。
どんなに優れた人格者であろうと権力の誘惑、欲望に打ち勝つのは至難の業。
少数の賢人による評価機構を作ったとしても結局同じことが起きる。
そのような政府もまたいずれ腐敗し堕落する運命なのである。
施政評価者を減らせば減らすほどその平均知能を上げる事は出来る。
しかし一度腐敗現象が始まればその人数が少なければ少ないほど
政治は醜悪に腐敗する。少数の者に権利を保障するだけで
より多くの者から権利や富を奪う事が出来るからだ。
腐敗が容易で見返りも多いなら民主主義より哲人王政が
腐敗しやすいのは当然の話だ。
結局、残された道は民主主義しかない。
よりよき国家を目指すには民主主義制度の下で
政策評価を可能とする大衆の教育、知的水準の向上と
過剰で利己的な権利主張を抑制する倫理観の向上を同時に目指すしか方法はない。
しかしいくら教育しても所詮は猿が少し進化した程度の人類に
そんな賢明な判断能力が備わるわけもなく民主制である限り人類は
自ら生み出す災難に悩まされ続ける事になる。
遺伝的に改良された新しい人類、あるいは人間の知能を超える人工知能の
類の出現を待たなければこの問題が解決される事はないだろう。