14/02/01 22:15:31.42
>>1からの続きです。
遺跡内には縄文時代早期の貝塚があり、たき火の跡やドングリを貯蔵した穴、土を掘る堀棒とみられる木材も見つかっており、
同財団は当時の生活や環境の様子を詳しく調べている。
縄文時代の丸木舟は全国で約160艘(そう)見つかっているが、今回を含め60艘が県内からの出土。
当時の県内は縄文海進で入江が発達したことや、平たんな地形が多く海に出やすかったためとみられる。
県内のこれまでの最古例は、南房総市の加茂遺跡出土の約5300年前のもので、多古町でも約5000年前のものが出土。
市川市での出土は初という。
出土した丸木舟は慎重に取り上げられ、防腐・保存処理される。県文化財課は「活用方法を考えていきたい」としている。
同財団は8日午前11時~午後2時に遺跡見学会を開催して丸木舟を公開する。
◆当時の「前線基地」 千葉大学の岡本東三名誉教授(考古学)の話
縄文時代人の海の活動の実態が分かる重要な資料。
縄文時代の貝塚は台地上にあることが多いが、同遺跡の貝塚は谷の部分の非常に低い場所にあり珍しい。
海に近いところに生産拠点を置いた「前線基地」のような場所とみられ、縄文海進の過程を証明する絶好の遺跡。
当時の自然環境を復元するさまざまなデータが得られる意味からも、非常に重要な遺跡だと思う。
◇雷下遺跡 市川市の国分川西岸の標高約6メートルに広がる低湿地の遺跡。
2001年から調査が始まり、これまでに地下4~6メートルの深さに縄文時代早期の遺物を含む包含層や貝層が見つかっている。
約7千年前の「縄文海進」で、海が内陸まで入り込んでいた当時の海岸線付近に形成されたとみられる。
ちばとぴ 2014年02月01日 10:16
*問い合わせ先など割愛しました