13/03/10 20:38:23.17 aD7Gfzrr
精神科の歴史って200年くらいあるらしいよね、それでもって2006年の
インタビューがこれって進化に取り残されてるよね。
今回の実験もいつになることかフゥー
85:名無しのひみつ
13/03/11 04:45:53.28 /t+1gC7Y
もうさ霊症・憑依研究したほうが安くて早いんちゃう?
86:名無しのひみつ
13/03/11 21:17:30.79 nfijuw/g
>>84
ただ卑下しておられるだけでは。
個人的にはそう思います。
87:名無しのひみつ
13/03/11 22:07:36.09 zDPFtS01
up
88:名無しのひみつ
13/03/13 14:19:58.41 Sa8g+EJZ
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【医学】統合失調症に似た特徴を持つ遺伝子改変マウスを確立
モデルマウスを使って患者の新しい予防・診断・治療法へ道/生理研など
スレリンク(scienceplus板)l50
【実験】ネズミを使った動物実験は人体にすべて当てはまるわけではない/米研究
スレリンク(scienceplus板)l50
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89:名無しのひみつ
13/03/13 19:49:33.81 jZCjLZ/d
俺の経験からいって統合失調症は霊障 車にひかれてる猫触ってから幻聴聴こえるようになってしまった。隣の人も突然頭狂ってしまった。
90:名無しのひみつ
13/03/15 13:17:04.47 2SBy2H9+
>>89
何が聞こえるんですか?
91:名無しのひみつ
13/03/16 17:26:03.30 EeN4PSZF
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幻聴は、幻想のような感覚が無くて、かなり明晰に聞こえて来るそうだが、正しいだろうか。
それから幻聴が聞こえ始める時の、その時の気分や体調について、
何か緊張感があったり疲労していたりするだろうか。
それともそのような状況に関係無く、リラックスしている時にも起きるのだろうか。
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92:唯物的な所有強欲に起因する、丸暗記猿真似科学の教え
13/03/17 16:20:00.54 h/MXGt8S
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文系だか理系だか知らないが日本を含むアジア人特有の、現実利益と知識量の所有強欲に起因した
” 丸暗記猿真似科学 “ は、現象の一側面しか論じないために、実に馬鹿げた結論を盲信することになる。
唯物科学は、人間の素朴感覚でも認識し得る主体意志性を、全く説明できないから、
意識は脳の物質的属性と結論した。 このため自由意志は幻想とする唯物論者の意識には主体性が無いので、
唯物論者の意識は、脳の被影響反応によって “ 事物の推移を傍観するだけ “ の位置づけしかない。
. *** 自由意志を幻想とする唯物論者は、被影響によってのみ存在する ***
このような唯物科学批判を読んだ唯物論者が、多少の怒りを覚えて反論を試みる場合もあるだろう。
日常ではそれ以上の喜怒哀楽の感情が、脳の被影響による物質反応として生じている筈だが、
唯物論者の意識は “ 傍観するだけ “ の位置づけにも係わらず、さらには
唯物論者の意識は主体性を持たずに、自身の個体行動には何の企画実行の指示力が無いにも係わらず、
脳興奮による喜怒哀楽の感情は、主体意志の無い唯物論者の意識をも “ 巻き込む “ ことになり、
単なる “ 傍観するだけ “ の唯物論者の意識が、
後悔の念だとか反省の感情までも持たされるのは、原始生命から人間に至る進化過程からも “ 不必要負担 “
であり、合理的な解釈としては “ そんな意識なら初めから無くても良くネ “ との考えに達するのである。
しかしそれ以上に滑稽なのは、唯物科学を主張する唯物論者の “ 思考の末の確信 “ は、一体どのように
成立したのかと問うことだ。 唯物科学は、自由意志は幻想だとしている以上、
唯物論者の “ 思考の末の確信や自己努力 “ などは存在せず、ただ単なる周囲の被影響によるものになる。
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93:丸暗記バカがその知識を適用すればよい時代は終わった
13/03/17 16:25:12.32 h/MXGt8S
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中国でも昔科挙を実施していたが現代の理論系科学研究者を例としても、その適任者として選任するまでの段階では
かなりの注意が払われる。 しかし一旦選任されてしまえば、本来の目的である科学的成果を出せなくても生涯に渡り
税金で生活保障がされるため研究自体の緊張感がほとんど無いに等しい。
さらに税金を支払う側の国民も間抜けなので、無能な公的執務者は追放せよという意見も大勢にはならない。
. *** 丸暗記バカがその知識を適用すればよい時代は終わった ***
日本の明治期より、西欧の科学技術に追いつけとの掛け声のもとに、その知識詰め込み教育は始まった。 その時代は
PCなど人間の記憶能力を代理するものが無く、とにかく西欧が得ている知識を吸収して “ 歩く百科事典 “ になること
が求められた。 これは精密技術などの分野で、西欧を追い越した現在もなお続いている日本の教育現状である。
しかしそれは東洋人の “ 利益の強欲 “ のために、教育段階であるにも係わらず競争が持ち込まれた結果である。
丸暗記した知識を素早く適用するだけの、そしてたかだか数時間の試験点数が、人生の将来まで決めるというシステム
なので、その強迫的スピード進学競争のために、
子供なりの “ 覚えた知識を噛み砕いて身につける “ という創意工夫の過程が、あっさりと省かれている。
今迄東洋でその人口比に対して、歴史に残る学問的成果が出ない原因はその “ 知識収集の強欲 “ のためである。
理論系の日本の学者にしてもアメリカの中国系の学者にしても、数学的な記号操作の多くをよく記憶しているが、
その思考様式は電卓に記憶された柔軟性の無い形式プログラムに相当し、それでは学問の冒険的発展には寄与しない。
東洋の基礎科学について言えるのは、科学全般について数学的厳密性を重視しているように見えるが、それは西欧文化の
論理実証の猿真似に過ぎず、さらに東洋の数学は “ 依存的な過度の絶対視による儀式 “ である。
これは自然を人間の形式論理に無理に適合させる努力であり、その背景となる想像性、言い換えれば自然像を新しい視点から
再構成する冒険的探究心が全く欠如しているためで、部分の詳細をいくら追及しても全体像は見えない。
94:名無しのひみつ
13/03/17 21:01:19.50 pkIYF/0T
自分を俯瞰してみるというか
洞察力みたいなものが
要るような
妄想を申そうとわかる能力・・みたいなものが