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部落差別、その起源はかつては次のように説明されていた。江戸幕府は「士農工商」の下に「エタ・非
人」身分をつくり、皮革製造の仕事に携わっていた人たちをその身分に落とした。これは武士階級が農
民たちの反抗を下にそらせて民主を分断支配するためだった。だが、この説は最近の研究でほぼ完全
に覆された。 京都や奈良などの被差別部落の起源は、江戸時代以前の中世までさかのぼれることが
はっきりしたからだ。代わって有力になったのが中世起源説である。この説の核をなすのは人々のケガ
レ意識だ。ケガレは人や牛馬などの死、お産、女性の生理、犯罪などから発生するとされ、人々は災い
から逃れるためにそれらを忌避した。女性の生理などに対するケガレ意識は今も人々の心の奥に残って
いる。例えば日本では使用済みの生理用品はトイレの中の特別な容器に捨てることになっている。米国
ホームステイ先の家のトイレにはそれがなかった。「生理用品はどこにすてたらいいんですか」と聞くと
その家の主婦は何でそんな当たり前のことを聞くのかといった表情で「ゴミ箱に捨てたらいい」と答えた
という。ケガレ意識は平安時代の終わり頃から強まり、ケガレ処理を統轄したのが検非違使である。
検非違使は中国から伝わった律令制にはない、日本独特の官職で、今で言う警察業務と保健衛生業務
をあわせて行っていた。検非違使は犯罪取締や刑の執行、人や動物の死体片付けなどのケガレ処理を
中世賤民を手足にして行った。こうした賤民群から武家勢力などをバックにした「清め」(後のかわた)集団
が生まれる。彼らは当初、検非違使の下で行き倒れ人の処理や刑の執行にあたりながら、死んだ牛馬
の処理を手がけていたが、次第に牛馬の皮や骨や内臓を原料に様々なものを生産するようになる。皮革
や膠のほか、内臓からは薬品類も取れた。中でも牛の胆嚢にたまる結石(牛黄)は高価な漢方薬だった。
その特殊技能ゆえに彼らは戦国大名の庇護を受けて生き延びることができた。しかしそれは同時に、
人々のケガレ意識によって忌避され、賤民視される宿命を子々孫々にわたって引き受けることでもあった。
江戸時代に確立された身分制度はそうした事態を追認し、制度化したものである。