12/09/27 21:39:59.52 mNNjcIwq0
>>444 ID:SUBJB3+o0 さん
カワタを穢多と“ひとくくり”にしたのは徳川政権。
ただし、藩によっては「カワタ」呼称が残った事実を知ってます。
“身分”という観点から、両者は同義であり、あくまで賎民でしょう。
そして「穢多・カワタが支配した」という古文書はない。
古文書で見たものは、全部、穢多は武士・一般庶民より“低く”記述してる。
身分による名前の順番であったり、○○が要請して穢多が・・・とか。
また、穢多が願い出て・・・はあるが、穢多が要請して・・・というのを見たことがない。
(エビデンスというより、これは周知の事実でいいでしょう。)
>1、長州藩では慶長9年(1604年)山口垣の内のカワタに「郷中見回役」を命じている
これは穢多・カワタは、あくまで武士の手先であり、
穢多・カワタ自身の特権としての業務ではない。
また「見廻役」は悪人を取り締まるものであり、庶民を支配するものではない。
近代になってからの戦争でも、捕虜に雑役を負わせることがある。
(別例だが)非人は刑場で働いた。非人は死刑執行人の役目を負った。
しかし死刑囚は、非人が裁いたのではない。裁くのはあくまで奉行(武士)である。
こういったところの認識は必要だと思う。